棄捐令の発布
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/26 15:50 UTC 版)
札差一同と蔵前の町役人が、北町奉行所に召出され、勘定奉行の久世広民の立合いのもとに、山村信濃守および初鹿野河内守から申渡しを受けたのは寛政元年9月16日のことであった。 序文では、札差達が旗本・御家人達が借金によって難渋しているにも関わらず、利下げもせず利息を取り立て続けて利潤を得ていることや、奢侈に耽り、贅を極めて風俗を乱し、武家に対して無礼な振る舞いが多いことを咎めていた。そして、この度の改正では、利子を引下げ、これまでの貸金の取扱いを改正し、会所を建てて町年寄の樽屋与左衛門に引き請けさせ、幕府からの無利息の御下げ金が出されるといったことが書かれていた。 町奉行所での申渡しの後、樽屋与左衛門の役宅で、札差一同に改めて申渡しがなされた。ここでは、今後の新規の金融における利子の計算方法や、会所に関する詳しい説明がなされている。 この他に、旗本・御家人の知行高に比べて不相応な高額借金の申出を拒絶すべきであり、蔵米支給などの折に酒食の饗応などは一切無用とすること。蔵米の受け取り・運搬・売却といった札差本来の稼業で得られる手数料はこれまで通りであることなど、様々な取り決めが通達された。なお、各札差は、顧客である武士の身分(役職)・知行高・姓名を残らず書上げ提出するようにという申渡しもあったが、これは旗本たち武士の名誉にも関わるとして願い下げとなった。 また、借りたのが天明4年(1784年)以前だが証文の書替によって5ヶ年以内、つまり天明5年(1785年)以後となっている借金や、5ヶ年以内のものでも家督相続により親の借金を書替えた場合も債権破棄と決められた。
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