棄捐令が発令された背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/26 15:50 UTC 版)
旗本・御家人は石高が元から低い上に相給などの導入によってその財政基盤は弱体化しており、早くも幕府成立から30年後の3代将軍徳川家光の時代にはその窮乏が問題視されていた。 幕府は多少の地方直と倹約令の徹底によって乗り切ろうとしたが、幕府直属で江戸居住が義務付けられていた旗本・御家人は必然的に消費者にならざるを得なかったために時を追うにつれて問題は深刻化するようになった。 その結果、彼らは借金を重ねなければ生活できないようになり、特に札差からの借財は年々膨らむ一方であった。札差は武士の扶持米(米で支給された給与)の扱いを握っていたため、借金の取り立ての確実性は高かった。当時の利率は公定年利18%と高かったため、一度借金生活に落ちたものはいわゆる返済地獄に陥ることが多く、江戸の人口の4割から5割を占めたと推定される武士の借金が深刻化すると、江戸の経済全体が萎縮する結果にもなった。
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