校異編の評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 05:15 UTC 版)
『源氏物語大成』では、基本的な校合方針として「簡明を旨とする」という方針が示されており、漢字と仮名の使い分け、変体仮名、異体字、仮名遣いなど意味に影響を与えないと考えられた校異は多くの場合省略されている。校合対象の写本の採用基準は青表紙本系統の写本を最重要視しており、河内本系統の写本や別本系統の写本の採用は限られている。ある巻では校合に採用されており、別の巻でも採用することが可能と考えられる写本であっても巻ごとに採用を選んでおり、青表紙本と考えられた写本以外の写本の採用は比較的限定されたものになっている。また採用された写本に異文がある箇所でも校異が記載されていないことも少なくない。そのためこの校本から校合に採用された特定の写本の本文を復元することは原則として不可能である。 そもそも当然のことながら本文の比較校合の作業が始められた昭和初期の時点で存在が明らかになっており、かつ比較校合が可能であった写本しかとりあげられておらず、その後発見された、あるいは価値が明らかになった多くの写本との比較は行われていないが、その中には定家の自筆本の一部や臨模本等の現在重要と考えられている写本がいくつか含まれている。また、本書で校異に採用されていながら(おそらくは当時の所有者の意向により)「某家蔵」等としか表示されず当初から写本の所在が明らかでなかったり、当時の写本の所在は明らかであってもその後戦中・戦後の混乱期を経て所在が不明になった写本もいくつか存在するため、現在では校合のために採録した本文が正しいものなのかどうか再検証できない部分が存在する。 この校本が出来た当初は、「これで源氏物語本文の研究はほぼ完成した。これからはこの研究結果を元にして(作品論などの)次の段階の研究に進めばよい。」等として源氏物語の本文研究はもはや不必要であるかのような論調すら存在した。このような状況を問題視する阿部秋生によって、帚木帖を例にとって「簡明を旨とする」の具体的な内容を中心に校訂本文の精度についてさまざまな検証が行なわれたが、単純な誤りはほとんど発見されなかったものの、意図の不明な漢字表記や仮名遣いの統一などもあり、最終的な結論は、「特に精度の高い校本とは言い難い。この校本によっての『源氏物語』の本文研究や、校訂作業は全く不可能なこととは思わないが、非常に限られた調査しか出来ないことは承知しておかねばなるまい。」であった。 本書源氏物語大成の成立にも関わっていた松尾聡は、1978年(昭和53年)になって「これからの源氏物語の本文研究のさらなる進展のためには、本書を利用することによって大きく進展した現在の最新の研究水準に基づいて上記で指摘されているような問題点である漢字と仮名の使い分けや仮名遣い、河内本や別本について大幅に省略されている校異などについて、底本や校合本に当たり直して一切省略しない「新版校異源氏」を作る必要がある」と述べている。河内本に関する部分については1990年代に入ってから加藤洋介らによって実際に作業が行われ、その結果が『河内本源氏物語校異集成』に結実している。 このように現在の源氏物語の本文研究の学問的水準から考えると問題も多く、批判されることもしばしばある校本ではあるが、歴史上初めて完成した学術的な源氏物語の校本でありながら、21世紀に入っても通常の研究に利用しうる源氏物語の校本としては最も整ったものである。
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