松代町 (新潟県)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 松代町 (新潟県)の意味・解説 

松代町 (新潟県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/26 12:35 UTC 版)

まつだいまち
松代町
松代町旗 松代町章
廃止日 2005年4月1日
廃止理由 新設合併
十日町市、松代町松之山町川西町中里村十日町市
現在の自治体 十日町市
廃止時点のデータ
日本
地方 中部地方北陸地方
甲信越地方
都道府県 新潟県
東頸城郡
市町村コード 15523-3
面積 90.47 km2
総人口 4,245
(2003年4月1日)
隣接自治体 十日町市上越市松之山町高柳町川西町
町の木 ブナ[1]
町の花 ユキツバキ[1]
町の鳥
町の動物
ノジコ[1]
ムササビ[1]
松代町役場
所在地 942-1592
新潟県東頸城郡松代町松代3252-1[2]
座標 北緯37度07分57秒 東経138度36分28秒 / 北緯37.13256度 東経138.60772度 / 37.13256; 138.60772 (松代町)座標: 北緯37度07分57秒 東経138度36分28秒 / 北緯37.13256度 東経138.60772度 / 37.13256; 138.60772 (松代町)
松代町の位置
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示
十日町地域における平成の大合併。当町は十日町中心部に対して西に位置した。

松代町(まつだいまち)は、新潟県南部、東頸城郡の東端に位置していたである。2005年4月1日十日町市および東頸城郡松之山町中魚沼郡川西町中里村と合併し新設の十日町市となったため消滅した。

地理

当町は山あいに位置する。県市町村課「固定資産の価格等の概要」(平成12年)によれば、町の面積のうち田畑は10.4%、宅地は0.9%であり、その他は山林や雑種地などが占めている[3]

隣接していた自治体

歴史

古くは、松之山町と松代町をあわせて、松山保(まつやまほ)と呼ばれていた。は、都の官人の主導で開発された国の直轄地。

  • 寛治3年(1189年)
「寛治の古絵図」(往昔越後国之図)に松埜山次郎の名があり、「松埜山が領する所方20里大沼郡とす」と記載されている。つまり、松埜山家はおおぬま(魚沼)郡20里四方を支配した地方豪族でだったと考えられる。
  • 建武4年(1337年)
仁木義有が足利尊氏から松山保の地頭に任じられる。その補任状では、松山保は、右馬権守義時の跡と記載されている(「仁木文書」「新潟県史」資料編5)。但し、右馬権守義時に該当する人物は特定できない(東京大学史料編纂所で仁木文書を確認したところ、右馬権守北条茂時と記載されているようである)。
  • 興国2年(1341年)ころ
当時の松山保の中心地と考えられる犬伏城に北朝方の原田喜太郎が居住。
  • 貞治(1362-1368年)ころ
越後守護、上杉憲顕の家臣、丸山弾正が犬伏城に居住。
  • 貞治(1362-1368年)ころ
室野城主、南朝方の渡辺民部太夫、館を攻められ敗死。
  • 長禄2年(1458年)
足利将軍の近習中次之衆、伊勢盛種が松山保を所有。
  • 長禄4年(1460年)
松之山高館城主、伊勢盛富、盛種父子が、松之山上川手に観音寺建立。このころ松山保が伊勢氏の所領であったことが窺える。
  • 明応6年(1494年)
松苧神社(大権現)本殿建立
  • 永正4年(1507年)
越後守護上杉房能、守護代長尾為景に攻められ、兄の上杉顕定を頼り関東へ逃亡中に、上ノ山(現在、松代小学校付近)で合戦。退却し、松之山天水越で自刃。犬伏城主、清水采女正も房能とともに自刃
  • 永正ころ
房能の後の越後守護上杉定実の推挙で松山将監が犬伏城主になる。後に上杉謙信の意に沿わずに除かれて仏門に入る。
  • 永正6年(1509年)
幕府から長尾為景に、横領している上杉憲房方の伊勢盛正(盛種の子)の旧領・越後松山の返還を命じる御内書が送られる(小田原北条記)。
  • 天文21年(1552年)ころ
上杉政虎が、春日山から松代を経て三国峠に抜ける軍道(江戸時代の松之山街道)を整備し、宿営地である犬伏城を整備。この頃、犬伏城には箕冠城主の大熊備前守朝秀が赴任し、代官として家臣の針生藤兵衛久吉が常駐。大熊備前守朝秀は犬伏に林蔵寺を建立し、先の城主松山将監を林蔵寺の別当に迎える。
  • 永禄4年(1561年)
上杉政虎が関東管領を拝命し、松苧大権現に短刀と軍配を奉納。
  • 天正6年(1578年)
御館の乱勃発。犬伏城では、上杉景勝方の小森沢政秀、毛利秀広、吉益伯耆守、荻田与三衛門、長尾筑後守らが集結。
  • 慶長10年(1610年)
松平忠輝が福島城(上越市)に封ぜられる。このころにはすでに、松之山町と松代町をあわせて松之山郷と呼ぶようになっており、松之山郷は北組と南組に分けられていた。北組がほぼ松代町、南組がほぼ松之山町に相当する。伝承では、北組の中心の松代地区はもともと松平と呼ばれていたが、江戸時代に松平氏に遠慮して松代と改称した。
  • 寛永元年(1624年)
松平光長が高田に入封。松代地区に代官陣屋が置かれ松代地区が栄え始める。松之山街道も整備され往来も多くなった。
  • 延宝5年(1677年)
代官、鳴海九エ門が、松苧大権現中院の脇立および本殿の大般若経600巻を持ち去る。訴訴に発展
  • 天和元年(1681年)
越後騒動により松平光長は伊予松山藩に配流。
  • 天和2年(1682年)
松代の陣屋廃止。六斎市(観音祭り)も廃止。

沿革

  • 1901年(明治34年)11月1日 - 東頸城郡峰方村松平村伊沢村が合併し、松代村(まつだいむら)を新設。
  • 1954年昭和29年)
    • 3月31日 - 東頸城郡山平村と合併し松代村を新設[2]
    • 10月1日 - 町制施行し松代町となる。
  • 1956年(昭和31年)
    • 1月1日 - 大字清水の一部を分離し刈羽郡高柳町に編入。
    • 4月1日 - 大字荒瀬(一部)・苧島(一部)・滝沢(一部)を分離し中魚沼郡仙田村に編入。
  • 1959年(昭和34年)1月1日 - 東頸城郡奴奈川村を編入[2]
  • 1967年(昭和42年)4月1日 - 中魚沼郡川西町の一部を編入。
  • 1985年(昭和60年)4月1日 - 大字田代を分離し刈羽郡高柳町に編入。
  • 2005年平成17年)4月1日- 十日町市および東頸城郡松之山町、中魚沼郡川西町・中里村と合併し、十日町市を新設して消滅した。

行政

  • 町長:関谷 達治(1989年5月18日から)

経済

農業

  • 平成12年生産農業所得統計によれば、農業粗生産額の品目別割合において米が80.4%となっている[3]

教育

このほか、1979年(昭和54年)、旧山平中学校跡が早稲田大学の松代校地となり、その後1986年(昭和61年)に同大学のセミナーハウスが完成するなどし、同大学と地域との交流が行われてきた[5][6]

交通

鉄道路線

その他の交通

道路

高速道路
上越魚沼地域振興快速道路の計画があるのみで、開通区間なし。
一般国道
都道府県道

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

目的別観光入込客数(平成13年度)では「産業・観光」が最も多く(68,740人)、次いで「温泉」(62,950人)、「祭り・イベント」(34,720人)となっている[3]

旧松代町の属する地方について

旧松代町と旧松之山町は、上越市と同じ旧頸城郡に属していたものの、旧魚沼郡の十日町市との結びつきも強く、新潟県の地方区分において上越地方中越地方のどちらに含められるかが場合によって異なっていた。

  • 気象予報の注意報・警報の発表区域は、長らく上越地方の上越東頸城地域に属していたが、市町村合併から数か月後の2005年7月7日から中越地方の十日町地域に移された[15]
  • 県の出先機関の管轄は、2004年度は上越地域振興局であったが、2005年度以降は十日町地域振興局となった[16][17]
  • 平成の大合併において県が当初提案した合併パターンは、十日町市ではなく東頸城郡の6町村(安塚町浦川原村・松代町・松之山町大島村牧村)での合併案であった[18]
  • 2001年時点での高校の学区は上越地方と同一であった[19]

脚注

  1. ^ a b c d 松代町について(概要) - 松代町 - WARPによるアーカイブ
  2. ^ a b c 市町村要覧:松代町
  3. ^ a b c d e 新市将来構想 Ⅰ.5市町村の現状と課題(P1~P52)
  4. ^ a b “孟地、奴奈川、松里、3小学校で最後の卒業式”. トオカマチウェブ ORADOKOニュース. (2014年3月20日). https://web.archive.org/web/20190410150158/http://www.oradoko.jp/news/2014/03/topics20140320-3.html  - WayBack Machineによるアーカイブ
  5. ^ 早稲田大学校外施設の取得について”. 十日町市. 2021年12月14日閲覧。
  6. ^ 松代早稲田協力会”. 早稲田松代塾. 2021年12月14日閲覧。
  7. ^ 松代町広報誌 1997年4月号 (PDF) - 十日町市.2019年4月10日閲覧。
  8. ^ 路線図&時刻表 - 東頸バス - WayBack Machineによるアーカイブ
  9. ^ 町営バス時刻表 - 松代町 - WARPによるアーカイブ
  10. ^ 『広報まつだい』第322号 1986年9月29日 p.2 町営定期バス 10月1日 発車オーライ - 松代町
  11. ^ 『広報まつだい』第324号 1986年11月27日 p.13 メロデーバス! ご愛顧で1か月 - 松代町
  12. ^ 『広報まつだい』 1995年3月 p.8 町営バス 営業始めて8年半! サービス拡充(1日5往復に) バスダイヤが変わります - 松代町
  13. ^ 『広報まつだい』第361号 1989年12月20日 p.17 伊沢地区にメロディバスが運行 - 松代町
  14. ^ まつだい郷土資料館 移転・新装開館」(PDF)『市報とおかまち』第104号、十日町市、2009年7月25日、6頁。 
  15. ^ "配信資料に関する技術情報(気象編) 第198号 ~平成17年7月7日に実施する細分区域の変更について~" (PDF) (Press release). 気象庁予報部. 6 June 2005.
  16. ^ 4月から地域振興局がスタート」(PDF)『新潟県民だより』2004年1月号、新潟県。 
  17. ^ 地域機関の所管区域などが変わりました」(PDF)『新潟県民だより』2005年4月号、新潟県。 
  18. ^ 「新潟県市町村合併促進要綱」で提案した合併パターン」(PDF)『新潟県民だより』市町村合併特集号、新潟県、2001年3月18日。 
  19. ^ 来春から高校普通科の通学区域が変わります」(PDF)『広報みしま』第387号、三島町、2000年6月、4-5頁。 

参考文献

関連項目

外部リンク

行政
観光・その他



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「松代町 (新潟県)」の関連用語

松代町 (新潟県)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



松代町 (新潟県)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの松代町 (新潟県) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS