東襲山村とは? わかりやすく解説

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霧島町

(東襲山村 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/21 06:28 UTC 版)

きりしまちょう
霧島町
廃止日 2005年11月7日
廃止理由 新設合併
国分市溝辺町横川町牧園町霧島町隼人町福山町霧島市
現在の自治体 霧島市
廃止時点のデータ
日本
地方 九州地方
都道府県 鹿児島県
姶良郡
市町村コード 46449-0
面積 82.54 km2
総人口 5,795
(2005年7月1日)
隣接自治体 国分市、曽於市、姶良郡隼人町、牧園町、宮崎県都城市小林市西諸県郡高原町
町の木 赤松
町の花 ミヤマキリシマ
霧島町役場
所在地 899-4292
鹿児島県姶良郡霧島町田口8-4
町役場(現・霧島市霧島総合支所)
座標 北緯31度49分11秒 東経130度50分04秒 / 北緯31.81972度 東経130.83453度 / 31.81972; 130.83453座標: 北緯31度49分11秒 東経130度50分04秒 / 北緯31.81972度 東経130.83453度 / 31.81972; 130.83453
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霧島町(きりしまちょう)は、鹿児島県の中央部にあったで、姶良郡に属した。

現在の霧島市のうち「霧島」を冠する地域にあたる。

地理

鹿児島県(離島部除く)の中央部にあり、東西9.1 km、南北16.5 kmの長さを持つ。霧島火山群に含まれるため標高は240mから1,500mに及ぶ高地である。

歴史

奈良時代まで南九州一帯は日向国であったが、奈良時代の713年和銅6年)に肝属郡囎唹郡大隅郡姶羅郡を割いて大隅国が成立した。後の霧島町域は大隅国の囎唹郡に含まれた。

その後は江戸時代まで囎唹郡囎唹郡郷であったが、1811年文化8年)頃に襲山郷(そのやまごう)と改称される。1869年(明治2年)、桑原郡の日当山郷を編入。1871年(明治4年)の廃藩置県により都城県に所属した。2年後の1873年(明治6年)、都城県と美々津県が合併して宮崎県となるが、大隅国は鹿児島県に所属した。

1889年(明治22年)に町村制が施行され、襲山郷(外城)は東襲山村と西襲山村(旧日当山郷の全域)とに分かれた。1934年(昭和9年)、霧島山が日本初の国立公園として指定されたのを機会に村名改称が論議され、1935年(昭和10年)に東襲山村を霧島村と改称した。1950年(昭和25年)に松永の大部分及び重久の一部が日当山村に編入され、重久の大部分及び松永の残部が東襲山村となり田口・大窪・川北・永水(重久の残部が改称)が霧島村となる。1958年(昭和33年)に町制施行がなされ霧島町となった。2005年(平成17年)11月に周辺7市町が合併して霧島市が誕生し、現在に至っている。

年表

行政

町長
  • 初代:新村親志
  • 2代:内村義幸 
  • 3代:川野正雄
  • 4代:木野田貞則   
  • 5代:近藤好夫 
  • 6代:吉村久則

姉妹都市・提携都市

海外

地域

教育

中学校
小学校

交通

航空

最寄り空港は鹿児島空港

鉄道
バス
道路

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

出身有名人

脚注

  1. ^ 『官報』第3822号、明治29年3月30日。

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