東栄町時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/03 17:35 UTC 版)
1964年(昭和39年)に当時の杉戸清市政において打ち出された「一区一館計画」に基づき、1968年(昭和43年)に建設の方針が固まり、名古屋市立大学病院跡地の東南の一角(看護学校校舎跡地)に図書館整備が進められることとなり、翌1969年8月に10番目の市立図書館として開館を迎えることとなった。当時の建物は、敷地面積が2,001.54平方メートル、延べ床面積は1,125.39平方メートル、鉄筋コンクリート造の2階建てであった。建設は名古屋市建築局が担当した。1階は集会室・視聴覚室・展示室・新聞雑誌コーナー・閉架書庫および事務室を置き、2階に閲覧室を設ける構造であった。開館に際しては同日に熱田区六野において名古屋市体育館が開館したため、開館式を簡素化してオープンすることとなった。 当時の瑞穂図書館は、瑞穂区全体から見ると北に偏った場所に位置しており、特に区南東部の利用者が少なかったという。それらの地域に住む住民に対するアピールとして、1973年(昭和48年)10月27日には丸根町1丁目に所在する行信寺本堂において「一日分館」という催しを行っている。蔵書約1,500冊を運び込み、10時から16時まで開館したものの、利用者は50人程度にとどまった。この催しは1976年(昭和51年)度まで続けられた。 ただし、決して利用者が少なかったわけではなく、1973年(昭和48年)3月3日に朝日新聞が報じたところによれば、同年度の館外貸し出し冊数は30万冊に及び、日本新記録を打ち出したという。 2000年(平成12年)には瑞穂図書館の課題として、老朽化や立地の偏在および、閲覧室が2階に所在することによる利用のしにくさなどが提起されている。
※この「東栄町時代」の解説は、「名古屋市瑞穂図書館」の解説の一部です。
「東栄町時代」を含む「名古屋市瑞穂図書館」の記事については、「名古屋市瑞穂図書館」の概要を参照ください。
- 東栄町時代のページへのリンク