東京シネマの全盛期
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1958年、吉見泰脚本、小林米作撮影、東京シネマ製作の『ミクロの世界 -結核菌を追って-』がヴェネツィア記録映画祭最高科学映画賞、国際科学映画協会モスクワ大会名誉賞などを受賞。同年、『視聴覚教育』誌に「国際科学映画協会のモスクワ大会に出席して」を寄稿。 1960年、東京シネマ製作の『マリンスノー -石油の起源-』が国際科学映画協会プラハ大会名誉賞などを受賞。 1961年、菊池寛賞受賞。 1962年、東京シネマが科学技術功労賞受賞。 1964年、岡田桑三、週刊朝日1964年12月11日号の表紙を飾る。 1965年、東京シネマが朝日文化賞受賞。 1966年、東京シネマが経営破綻し、新規製作を中断、多くの社員が退社。会社自体は,1983年の桑三の死まで存続。 1967年、東京シネマが製作した2作品についての著作権紛争が発生。これを機会に、産業映画の受託時に著作権の所在を明確化する流れが業界に生まれる。 1968年、東京シネマが製作した『うま味と生命』がパドヴァ大学科学教育映画祭化学教育部門第一位賞受賞。 東京シネマ作品の完成原版は、大部分が東京国立近代美術館フィルムセンターに一括寄贈され、国有財産として管理され、その多くは、NPO法人科学映像館(http://www.kagakueizo.org/)で公開されている。
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