李天王と哪吒太子
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第5回で孫悟空を捕獲すべく戦った三頭六臂の哪吒太子は「太子爺」「中壇元帥」とも呼ばれ、元々はインド神話のナラクーバラ(哪吒俱伐羅)という神が中国に伝わったものである。『毘沙門儀軌』によれば「毘沙門天の三男哪吒太子、塔を捧げて天王にしたがう」とあり、毘沙門天(ヴァイシュラヴァナ)と関連づけられた神であった。ただし中国において毘沙門天は、『李衛公問対』でも知られる唐初の名将・衛国公李靖と結びつけられ、手に宝塔を持った姿で「托塔李天王」と呼ばれることになる(後に毘沙門とは別神格に分かれた)。李靖の字が「薬師」で、毘沙門天が支配する夜叉(yaksa)と音が近かったためで、宋代には武神として祀られはじめていた。書籍での初出は14世紀の『全相平和七国春秋』後集下である。李天王も『西遊記』では哪吒太子と同じく孫悟空捕獲に派遣されている。 第83回の紹介では哪吒太子は李靖の第三子で、長男は金吒、次男は木叉だとある。金吒は釈迦如来の前都護法とされているが、元は密教の五大明王の一つ軍荼利明王(クンダリニー)が由来となっており、古い文献では「軍吒」とも書かれる。木叉は一名を恵岸行者といい、観音菩薩の弟子となっており、観音に随行して物語にたびたび登場している。ただし『捜神大全』『宋高僧伝』では恵岸行者と木叉を別人とし、ともに泗州大聖(僧伽大師)の弟子とする。このように李天王と三人の子は元来仏教神であり、雑劇の段階で仏教を基盤とした西天取経説話に採り入れられた。楊劇では、三蔵法師を守護するため観音菩薩から任命された十大保官の第二に李天王、第三に那吒、第七に木叉の名が見える。しかし彼らは『西遊記』成立と同時期に道教の神に変化し、『封神演義』で大活躍することとなる(木叉は『封神演義』では木吒になる)。今日哪吒太子は風火輪に乗る姿が一般的だが、これも『封神演義』以降に広まったイメージで、『西遊記』ではまだ風火輪には乗っていない。
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