李天王と哪吒太子とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 李天王と哪吒太子の意味・解説 

李天王と哪吒太子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 15:55 UTC 版)

西遊記の成立史」の記事における「李天王と哪吒太子」の解説

第5回孫悟空捕獲すべく戦った三頭六臂の哪吒太子は「太子爺」「中壇元帥」とも呼ばれ、元々はインド神話ナラクーバラ哪吒俱伐羅)という神が中国伝わったのである。『毘沙門儀軌によれば毘沙門天三男哪吒太子、塔を捧げて天王にしたがう」とあり、毘沙門天ヴァイシュラヴァナ)と関連づけられた神であった。ただし中国において毘沙門天は、『李衛公問対』でも知られる唐初の名将衛国李靖と結びつけられ、手に宝塔持った姿で「托塔天王」と呼ばれることになる(後に毘沙門とは別神格分かれた)。李靖の字が「薬師」で、毘沙門天支配する夜叉(yaksa)と音が近かったためで、宋代には武神として祀られはじめていた。書籍での初出14世紀の『全相平和七春秋後集下である。天王『西遊記』では哪吒太子同じく孫悟空捕獲派遣されている。 第83回紹介では哪吒太子李靖第三子で、長男金吒次男は木叉だとある。金吒釈迦如来の前都護法とされているが、元は密教五大明王一つ軍荼利明王クンダリニー)が由来となっており、古い文献では「軍吒」とも書かれる。木叉は一名を恵岸行者といい、観音菩薩弟子となっており、観音随行して物語にたびたび登場している。ただし『捜神大全』『宋高僧伝』では恵岸行者と木叉を別人とし、ともに泗州大聖僧伽大師)の弟子とする。このように天王三人の子元来仏教神であり、雑劇段階仏教基盤とした西天取経説話に採り入れられた。楊劇では、三蔵法師守護するため観音菩薩から任命された十大保官の第二天王第三に那吒、第七に木叉の名が見える。しかし彼らは『西遊記』成立同時期に道教の神に変化し『封神演義』大活躍することとなる(木叉は『封神演義』では木吒になる)。今日哪吒太子風火輪乗る姿が一般的だが、これも『封神演義』以降広まったイメージで、『西遊記』ではまだ風火輪には乗っていない。

※この「李天王と哪吒太子」の解説は、「西遊記の成立史」の解説の一部です。
「李天王と哪吒太子」を含む「西遊記の成立史」の記事については、「西遊記の成立史」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「李天王と哪吒太子」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  李天王と哪吒太子のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「李天王と哪吒太子」の関連用語

李天王と哪吒太子のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



李天王と哪吒太子のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの西遊記の成立史 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS