本連隊の軍旗
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1877年(明治10年)2月15日に西郷隆盛が率いる薩軍が鹿児島を出発して西南戦争が勃発した。この時点で九州に所在する官軍部隊は、熊本の歩兵第13連隊・小倉の歩兵第14連隊(本連隊。連隊長心得:乃木希典歩兵少佐)の2個連隊のみであった。熊本鎮台司令長官の谷干城少将は、第14連隊に熊本城に強行入城することを命じた。熊本に急行した本連隊は、2月22日、田原坂を越えた地点にある植木で優勢な薩軍の迎撃を受け、乃木連隊長心得は衆寡敵せずと判断して兵を引いたが、この際に薩軍に軍旗を奪われた。 1878年(明治11年)1月、本連隊は新たな軍旗を拝受した。その直後に、薩軍に奪取されていた本連隊の軍旗(旧)が発見され、陸軍省に届けられたものの、陸軍省では処置に困り、木箱に納めて倉庫に保管した。この歩兵第14連隊軍旗(旧)の存在はその後忘れられていたが、1925年(大正14年)7月、陸軍省大臣官房に勤務していた国分新七郎歩兵中尉(陸士28期・陸大35期、最終階級は陸軍中将、第46師団長として昭和20年の敗戦を迎えた)が倉庫を整理中に発見した。ただし、国分が発見した歩兵第14連隊軍旗(旧)がその後どうなったかは不明。 秦郁彦は、1945年(昭和20年)の敗戦の際に現存していた約300旒の軍旗は奉焼されるなどして失われ、完全な形で現存する軍旗は1旒(歩兵第321連隊軍旗)のみであり、仮に歩兵第14連隊軍旗(旧)が現存しているとすれば価値が大きい、という旨を述べている。 「軍旗#現存する軍旗」も参照
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