本田技研(ホンダ)時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 13:36 UTC 版)
「山本雅史 (モータースポーツ)」の記事における「本田技研(ホンダ)時代」の解説
青少年時代より、ホンダ車のユニークな仕様に興味を抱いていた。工業高校機械科を卒業した1982年、本田技研工業(ホンダ)に入社。主に本田技術研究所の関連部署に勤務し、和光研究所で試作ブロックやデザイン開発などに携わる。 この間、1980年代から1990年代初頭にかけてレーシングカートのドライバーとしても鳴らし、当時は全日本カート選手権のトップランカーの一人だった。さらに開発企画の一環として参加したオーストラリア大陸縦断ソーラーカーレース「ワールド・ソーラー・チャレンジ」では、カートの経験を活かしメインドライバーも務め優勝を果たした。 その後、管理職業務に異動。2011年に栃木研究所に移り、四輪R&Dセンターの技術広報室長などを務める。モータースポーツ世界最速を目指す米国の伝統的イベント「ボンネビル・スピードウィーク」に参戦する企画を主導。2016年に二輪部門P-P650クラスで、ホンダ・CBR600RRが世界記録を樹立した。 同年、モータースポーツで結果を出したマネージメントの手腕を買われ、ホンダ本社のモータースポーツ部長に就任。フォーミュラ1(F1)やロードレース世界選手権(MotoGP)、スーパーフォーミュラ、SUPER GTなどホンダが関わるモータースポーツ関連全般を統括する立場となった。 2019年、ホンダにおけるF1活動の重要性が増してきたことなどから、同4月に新設されたF1担当マネージングディレクターに就任し、社長直属の形でF1関連の活動に専念することになった。 その後、提携したレッドブル系F1チーム「レッドブル・レーシング」「スクーデリア・アルファタウリ(旧名スクーデリア・トロ・ロッソ)」の交渉窓口に携わり、2020年シーズンにアルファタウリが12年ぶりの優勝。翌2021年シーズンにはレッドブルがドライバーズタイトルを獲得し、エンジンサプライヤーとして30年ぶりの偉業に貢献した。
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