木質の進化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 09:06 UTC 版)
前期デボン紀の景観には、腰丈より高い植生はなかった。丈夫な維管束系の進化なしには、より高くすることはできなかった。しかし、高さを要求する進化圧は常にあった。最も明白な利点は、光合成のための太陽光の取得である。他の植物の光を遮ることもできる。さらに、胞子の配布がある。胞子(のちに種子)は、高いところほど、より遠く飛び散ることができる。たとえば、後期シルル紀の菌類と考えられているプロトタキシーテス Prototaxitesは、高さ8 mもあった。 樹木となるためには、初期の植物は、支持と水分輸送の両方の機能を持った木部組織を発達させる必要があった。木質を理解するために、維管束について少し説明する。肥大成長する植物の軸は、リング状の維管束形成層に囲まれる。維管束形成層は内側には木部を形成し、外側には篩部を形成する。木部を形成する細胞はすでに死んでいて、リグニン化された組織である。後続の木部は既にできあがっている木部にリング状に付加され、木質が作られる。 最初に肥大成長能を獲得し、木本化した植物は大葉シダ植物であるようである。そして、中期デボン紀には、木本性のWattieza(クラドキシロン類 Cladoxylopsida)が8 mの高さになっていた。 他のグループが木本的な生態を獲得するまでに、そう長くはかからなかった。後期デボン紀には、トリメロフィトン類から進化した裸子植物の嚆矢であるアルカエオプテリス Archaeopterisが、30 mの高さに到達した。これらの前裸子植物は、両面維管束形成層から生成された真の木質を発達させた最初の植物である。それは中期デボン紀のRellimiaが最初である。真の木質は、ただ1回だけ進化したと考えられる。これによる単系統の名称は木質植物 Lignophytaと呼ばれる。 これらのアルカエオプテリスの森はすぐに小葉植物で満たされた。特にリンボク類(レピドデンドロン)などは、先端が50 mの高さ、基部では2 mの直径にもなった。これら小葉植物は、後期デボン紀から石炭紀にかけての、石炭堆積物の優占種だった。リンボク類は、「有限生長」を示していることで、現在の木とは違っていた。低い高さで栄養を貯め込んだ後、遺伝的に決定された高さまで大急ぎで伸び、その高さに達すると枝分かれして、胞子を散布してそして枯れる。これらは「安い」木質からできており、それが急激な生長を可能にした。少なくともその幹の半分は、柔組織の詰まった空洞だった。これらの木は、片面維管束形成層を発達させた。これは新しい篩部を作れない。すなわち幹が年月につれて太くなることができない。[要出典] トクサの仲間のロボクが、次に石炭紀に現れた。原生のトクサであるトクサ属とは異なり、ロボクは維管束形成層を持っており、木本様になることができ、10 mを超す高さになることができた。これらはまた複数回分岐した。 初期の木の形状は現生のものに類似していたが、現代的な木の種類はまだ進化していなかった。 今日支配的なグループは、針葉樹を含む裸子植物門と、花が咲き実を付ける被子植物門である。長らく、被子植物は裸子植物より進化したと考えられてきた。しかし近年の遺伝子研究によれば、これら現生の2つの大きなグループは、異なった2つのグループをなすことが示唆されている。ただ、分子データと形態学的データまだ調停されていないことには注意しなければならないが、形態学的にも側系統性への支持はさほど強くないことが認められるようになってきている。これは、これらのグループが出現したのが、おそらく前期ペルム紀のシダ種子類のなかからだという結論になるのかもしれない。 被子植物とその先祖は、白亜紀に多様化するまで脇役であった。これらは、小さく、好湿性の下草として始まり、中期白亜紀[要出典]から多様化して、現代では極地以外の森の支配的なグループとなった。
※この「木質の進化」の解説は、「植物の進化」の解説の一部です。
「木質の進化」を含む「植物の進化」の記事については、「植物の進化」の概要を参照ください。
- 木質の進化のページへのリンク