朝鮮王朝から対馬藩への安龍福に関しての返答
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「安龍福」の記事における「朝鮮王朝から対馬藩への安龍福に関しての返答」の解説
『粛宗実録』粛宗23年丁丑2月乙未条(1697年2月14日)には、東萊府使の李世載が対馬藩の使者との交渉で安龍福について次のように述べている。対馬の使者が 「去年の秋に貴国の人が上程したことがあったが、朝廷の命令で出したのか。」と問うと、李世載は「もし述べなければならないことがあれば、通訳官を江戸へ送る。何を思い憚って、狂った愚かな漁民を送ることがあろうか。」また、朝鮮の軍事行政機関である備辺司は「風に漂う愚民にいったっては作為することがあっても朝廷の知るところではない」としている。 このように、対馬藩が安龍福の行動を朝鮮の東莱府使に確認したところ、安龍福は朝鮮政府と関係ない愚民であると回答している。 『粛宗実録』の原文 粛宗 巻三十一 二十三年丁丑三月○東萊府使李世載狀啓言 館倭言 前島主以竹島事 再送大差 及其死後 時島主入去江戶 言于關白以竹島近朝鮮 不可相爭 仍禁倭人之往來 周旋之力多矣 以此啓聞 成送書契如何 又問 去秋貴國人有呈單事 出於朝令耶 臣曰 若有可辨 送一譯於江戶 顧何所憚 而乃送狂蠢浦民耶 倭曰 島中亦料如此 不送差倭 此亦別作書契答之 云 書契當否 令廟堂稟處 備邊司回啓曰 竹島卽鬱陵島一名 是我國地 載於輿地勝覽 日本亦所明知 而前後送差 請已書契措語 未知其間情弊 今乃以禁勿往來 歸功於時島主 顯有引咎之意 朝家大體 不必更責前事 至於漂風愚民 設有所作爲 亦非朝家所知 俱非成送書契之事 請以此言及館倭允之 翻訳 粛宗 巻三十一 二十三年(1697年)丁丑三月○東萊府使李世載が申し上げた。倭館が言うには「前島主(対馬藩主)が、竹島(鬱陵島)の件で、再度差し送ったが、その(藩主の)死後、新しい島主が入り江戸へ行った。将軍は、竹島(鬱陵島)は朝鮮に近いので、相争わず日本人の往来を禁じることに力を尽くした。」 これを聞き、書契を送ってはどうかというと、「去年の秋に貴国の者が上訴したことがあったが、朝廷の命令で出したのか。」と又問うた。(東莱府使)は「もし述べなければならないことがあれば、通訳官を江戸へ送る。何を思い憚って、狂った愚かな漁民を送ることがあろうか。」と言った。倭は「島の中でまたこのようなことがあっても、日本に送らず、また別に書契を作り返答する。」と言った。書契が必要かどうか朝廷の命令を依頼したところ、備辺司が回答するには、「竹島は即ち鬱稜島と同じ名称で、これは我国の地だ。『(東国)輿地勝覧』に載っており、日本もまた明らかに知っている。前後に差し送り書契を取り計らうことをやめるよう頼んだが、その間の問題の情況は知らない。今の往来を禁じることは、時の島主(対馬藩主)の功績で、責任を取る考えがあることは明らかだ。朝廷は大筋において前のことを更に責める必要はないとした。風に漂う愚民にいったっては作為することがあっても朝廷の知るところではなく、書契を送ることはない」これらを倭館に依頼することを認めた。 またこの年の3月、朝鮮国禮曹参議李善博から対馬藩主宛ての書簡の中では次のように書かれている。 「昨年漂着した者のことですが、海浜の人は舟を操ることを稼業とし、強風に遭えばたちまち波風に洗われやすく、重ねて越境を冒し貴国に入ります。・・・もしその訴状が本当であれば妄作の罪がある。そのためすでに法に基づいて流刑に処しました。(昨年漂氓事 濱海之人率以舟楫為業 颿風焱忽易及飄盪 以至冒越重溟轉入貴国・・・若其呈書誠有妄作之罪 故已施幽殛之典以為懲戢之地)」 この書簡では、安龍福を流刑に処した事を日本側に通知している。
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