有罪判決の教会
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「ヴィア・ドロローサ」の記事における「有罪判決の教会」の解説
有罪判決の教会は1903年、フランシスコ会修道士、兼建築家のメンデン出身のウェンデリンによって修繕され現在に至っている。教会内には、有罪判決を受けて十字架を背負わされたイエスの苦難が刻まれている。 ステンドグラスには十字架を背負って苦痛に苛まれるイエス、手を洗うピラト、拷問具を掴む天使が描かれている。モザイク張りの床の西側には切り石が敷かれているのだが、これは「リソストラトス(Lithostratos)」と呼ばれるシオン女子修道院へと続く通路の一部である。リソストラトスの語義は「石で舗装された場所」となる。つまり、『ヨハネによる福音書』において、ピラトが最終的にイエスを有罪と定めて民衆に引き渡したとされる「敷石」という場所と見なされている。 「 ピラトは、これらの言葉を聞くと、イエスを外に連れ出し、ヘブライ語でガバタ、すなわち「敷石」という場所で、裁判の席に着かせた。-『ヨハネによる福音書』 19:13 新共同訳 」 とはいえ、考古学者の一致した見解によれば、この敷石は第二神殿時代のものではなく、2世紀以降に建造されたアエリア・カピトリーナの遺物と見られている。 また、ローマのサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂にあるスカラ・サンクタ(聖なる階段)は、伝承によれば、総督官邸跡にあった階段を4世紀にエルサレムを訪れたコンスタンティヌス1世の母ヘレナが同聖堂に移設したものだという。キリスト教徒からはイエスが総督官邸から表通りに出る際に降りた階段と見なされ、今日でも神聖視されている。
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