時系列的経過
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 14:41 UTC 版)
主に『文明開化 4 裁判篇』(宮武外骨著)による事件報告を基に、最新参考文献 で修正。 慶応3年11月9日:大政奉還 慶応4年1月:鳥羽伏見の戦い 慶応4年5月23日:臼井亘理と妻・清子が干城隊に殺害される。 慶応4年9月8日:明治と改元。 明治5年:一瀬上京 明治6年2月7日:仇討禁止令発令(太政官布告37号) 明治9年:六郎上京 明治9年10月:秋月の乱。首謀者は干城隊幹部。 明治11年4月:六郎、甲府裁判所勤務の一瀬を追って甲府へ。 明治11年6月:再び甲府へ。 明治11年10月:六郎、熊谷裁判所の雇員になる。 明治12年夏:六郎、帰京。 明治13年5月:一瀬、東京上等裁判所へ異動。 明治13年11月:六郎、一瀬が在京してるのを聞き、経緯を記した書面を用意。 明治13年12月13日:六郎、一瀬を鍋町で目撃。 明治13年12月17日:一瀬直久を殺害し、自首。 明治14年9月22日:終身刑を宣告され、服役。 明治22年2月11日:大日本帝国憲法公布、大赦令 明治23年11月29日:帝国憲法施行 明治24年9月22日:憲法発布の恩赦により釈放される。 明治37年秋:妹つゆの嫁ぎ先である門司へ。 明治38年:親戚の紹介で結婚。饅頭屋を営む。 明治39年:鳥栖へ移転。駅前待合所を営む。 大正6年9月4日:病により死去。
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