昭和末よりの変化とは? わかりやすく解説

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昭和末よりの変化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 07:45 UTC 版)

神島 (和歌山県)」の記事における「昭和末よりの変化」の解説

1990年代より、この島に海鳥集団居着くことが多くなり、その糞による被害問題視され始めた上記1988年報告でもこの島で若干サギ類が営巣していることの報告があり、おそらく周辺海面での養殖漁業影響であると述べられている。養魚用の生け簀に餌を与えると、これが周囲の海にもこぼれるので多数小魚集まり、それを狙ってが集まるというのである。しかしこの頃はその数も少なく目立った影響はなかった。 しかし1991年にはウミウカワウヒメウ混じっていた)からなる混成群がこの島や近隣陸地集団休息するようになり、時に一夜飛来数が1200羽を超えるまでになった。彼らは大木先で夜を過ごし、それらの糞のために樹木全体白っぽくなり、一部の木は落葉した。田辺市では緊急の調査行い樹木下草土壌動物などに様々な影響出ていることを確認し追い払う方法模索した。そのために爆音発生装置設置したり、止まりにくくなるように樹木の上に網をかけたり、といった対策講じひとまず居着くことはなくなった。しかし、その後経過調査によって、糞の影響はすぐにはなくなっていない上に、これに平行するようにドブネズミ大発生起こっていたことがわかったネズミ住んでいるらしい形跡1986年にもあったというが、確認できない程度のものだった。ところが1990年頃より大きいネズミが居るとの噂が立ち、1993年には無視できない程度の数に達していた。至る所巣穴らしい穴があり、地表あちこち小動物頻繁に通ったらしい道がついていた。1994年1月はじめに罠を仕掛けて3頭を捕獲、それがドブネズミであることが確認された。ところが1月後半改め調査が行われた際には、ネズミ個体数意外に少ない、という印象と共にフクロウキツネの糞が発見された。これらは対岸のどこかからネズミ狙ってやってきたと考えられる。 こうして大群の糞による直接被害ドブネズミによる被害そのもの次第収束したが、糞害については全くなくなったわけではなくその後もより小規模ながらも海鳥不定期な寄りつき見られる結果として「おやま」を覆っていた高木かなりの部分被害を受け、枯死したものも多い。かつての森林様子を残す部分は「おやま」の緩斜面部分限られるのみ、という様相である。さらに枯死部分を覆うようにテイカカズラ中心するつる植物の繁茂激しくなっている。これは植物群落壊れた部分覆い隠す役割担ってはいるが、高木生長阻害するおそれもあり、それらを考慮しながら、島の植物群落復活めざして何をどうすればよいかが現在検討されている。

※この「昭和末よりの変化」の解説は、「神島 (和歌山県)」の解説の一部です。
「昭和末よりの変化」を含む「神島 (和歌山県)」の記事については、「神島 (和歌山県)」の概要を参照ください。

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