昭和末の大発生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/18 16:44 UTC 版)
1990年代ころより、西日本各地でカメムシの大発生が伝えられるようになった。この大発生は、広範囲にわたること、その出現時の個体数の多さで、非常に顕著なものであった。大発生地では、夜間に明かりの回りに無数のカメムシが隙間なしに止まり、街灯の周辺には飛び回るカメムシが雲のようになっていた。この時の大発生に参加したのは、主としてチャバネアオカメムシ、ツヤアオカメムシと、クサギカメムシであった。カメムシの大群は、日を追って次第に移動していったようである。 和歌山県では1992年に、県南部の梅だけで被害額は13億円との試算がある。この時のカメムシ個体数は10a当たり500万頭との推定値も出されている。 発生したカメムシは、ウメ畑、ミカン畑やカキ畑に侵入し、大被害を与えた。殺虫剤を散布しても、カメムシはとなりの畑に移動するだけで、数を減らすにはほとんど効果がなかった。誘蛾灯の下に容器を置き、これに水をいれて溺れさせようとの方法が取られたが、ひどい場合には容器内がカメムシで一杯になり、捕殺の役割を果たさなくなった例がある。 この大発生の原因は、スギ・ヒノキの人工林での、これらのカメムシの大発生が元であったようである。各地の人工林が繁殖の適齢を迎えたため、各地でカメムシの餌が一気に増加したためだというのである。ちなみに、花粉症の増加もほぼ前後して起きているとの見方もある。
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