春日山部屋師匠辞任と春日山部屋閉鎖
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 08:31 UTC 版)
「濱錦竜郎」の記事における「春日山部屋師匠辞任と春日山部屋閉鎖」の解説
日本相撲協会の職務では2016年5月場所から春日山部屋付きの13代高島(元高望山)に代わり勝負審判に就任していたが、訴訟の影響で同年8月3日に夏巡業の審判から急遽外された。この件について春日野広報部長は「臨時的な処置」、「目先の職務に付くべきではないと判断した」と説明しており、9月場所前には20代桐山(元黒瀬川)と交代で審判部から正式に異動となった。 そして同年10月12日、日本相撲協会は臨時理事会において濱錦に対して春日山部屋の師匠を辞任するよう全会一致で勧告した。前述の地裁判決の影響や、また夏巡業の審判を外れた際に部屋での指導に専念するよう勧告を受けていたのに協会の調査で9月の秋場所中に一度も部屋に向かわなかったことが判明し濱錦もこれを認めたため、協会が「師匠としてお任せできない」と判断したことによる。 濱錦が協会からの勧告に対し回答の猶予を求めたため、19日午前10時まで1週間の猶予期間が与えられた。しかし濱錦が勧告を拒否した場合は「協会との人材育成業務の委託契約を解除」すること、また勧告を承諾した場合でも濱錦の現役時代の師匠11代追手風(元大翔山)率いる追手風部屋に対して「一時預かり」として濱錦を含む部屋の力士らを受け入れてもらえるよう協会が調整することとなった。いずれにしても新たに同部屋を継承する親方が現れない限り、春日山部屋の閉鎖が決定的な情勢となった。 同年10月19日、濱錦は辞任勧告受諾する旨を相撲協会へ伝えた。同日付で本人と弟子の力士は伊勢ヶ濱一門の追手風部屋へ移籍となり、春日山部屋は一時消滅となった。部屋の所属力士23人のうち、水口、萬華城ら11人が辞任勧告撤回を求める嘆願書を後援会関係者らとともに協会に提出していたが、このことにより12人が引退届を提出した。日本相撲協会は12人の引退届を一旦保留し10月中に個々と面談した上で結論を出すとしていたが、最終的に力士14人が引退を決意。同年12月23日に行われた集団断髪式で濱錦が師匠として止め鋏を入れた。
※この「春日山部屋師匠辞任と春日山部屋閉鎖」の解説は、「濱錦竜郎」の解説の一部です。
「春日山部屋師匠辞任と春日山部屋閉鎖」を含む「濱錦竜郎」の記事については、「濱錦竜郎」の概要を参照ください。
- 春日山部屋師匠辞任と春日山部屋閉鎖のページへのリンク