春日座の時代とは? わかりやすく解説

春日座の時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/09 11:02 UTC 版)

堀川中央館」の記事における「春日座の時代」の解説

1908年明治41年12月9日京都府京都市上京区東堀川通下長者町東北二町目寄席春日座として開館する同地は、明治初期にはすでに商家が軒を連ね明治中期には小売店飲食店大半占め上京区内では最初商店街様相をなし、やがて堀川京極堀川通丸太町 - 中立売間)と呼ばれるようになった繁華街一角であった1895年明治28年9月24日にはすでに京都電気鉄道中立売線(のちの京都市電堀川線)が開通しており、同館の至近堀川下長者町電停があった。 1912年明治45年1月10日付の『京都日出新聞』の記事によれば当時京都市内劇場寄席57館とし、警察署管轄ごとに発表しており、同館は中立売警察署2007年西陣警察署統合現在の上京警察署管轄であり、「俄芝居」に分類されていた。同署管轄ではほかに、松之木座(仁輪加)があった。同年1月13日付の同紙の記事によれば当時京都市は「劇場」「興行場」「寄席」の3つ分類等級分けして納税額を決めており、同館は「寄席」に分類され松之木座、福廼家(のちの西陣大映)等とともに七等」とされて年額52円(当時)の税金課せられた。西陣地区の「寄席分類では西陣電気館長久亭(のちの西陣長久座)がそれぞれ三等」「五等」に分類されていた。1914年大正3年8月には、吉本興業林正之助京都寄席歳をブッキングして回った際に、長久亭、紅梅館(西堀川通丸太町上ル)、大宮館(大宮通中立売上ル)、国技館(のちの京都国技館千本通三条)とならんで同館を選んでいる。

※この「春日座の時代」の解説は、「堀川中央館」の解説の一部です。
「春日座の時代」を含む「堀川中央館」の記事については、「堀川中央館」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「春日座の時代」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  春日座の時代のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「春日座の時代」の関連用語

1
堀川中央館 百科事典
6% |||||

検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



春日座の時代のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの堀川中央館 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS