映画音楽への進出
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「ロマーノ・ムスマッラ」の記事における「映画音楽への進出」の解説
1986年には映画音楽に進出。レジス・ヴァルニエ監督、ジェーン・バーキン、ジャン=ルイ・トランティニャン主演による『悲しみのヴァイオリン』(1986年)の音楽を担当する。この映画の主題歌としてムスマッラが作曲し、エルザ・ランギーニが歌ったシャンソン「哀しみのアダージョ」(T'en va pas)は世界的に大ヒットした。日本でも映画の公開翌年の1987年に、原田知世が大貫妙子の日本語詞により「彼と彼女のソネット」としてカバーした。また、この曲は大貫自身も同年のアルバム「A Slice Of Life」でカバーしている。また、『悲しみのヴァイオリン』のサウンドトラックに関しては、主題歌のみならずフルオーケストラによって演奏されたクラシカルで流麗な劇中曲も、ジョルジュ・ドルリューやフィリップ・サルドを思わせる重厚な映画音楽として評価を得た。 映画音楽作曲家としてのムスマッラは、主題歌としてムスマッラが作曲・プロデュースするポップス音楽を採用しながら、劇中音楽はドルリューやサルドといったフランス映画音楽の重鎮の作品と比較しても遜色のない、重厚で華麗なオーケストラ音楽を作曲した。特にムスマッラが1980年代にプロデュースしたフレンチ・ポップスのディスコ音楽的なサウンドが、伝統的なシャンソン・カンツォーネの愛好家から敬遠された傾向のある日本においては、ムスマッラはポップスの作曲家と言うよりこれらの流麗な映画音楽の作曲家としてフランス映画の愛好家から注目を集めた面もある。 ムスマッラが作曲した映画音楽の中では、特にフランシス・ジロー監督の"L'enfance de l'art"(1988年)のサウンドトラックの評価が高い。主題歌としてムスマッラがプロデュースする女性歌手キャロル・ウェルスマンのポップスを使用しながら、劇中曲はドルリューを思わせる華麗で耽美的なオーケストラ・スコアを提供している。 また、ジャック・ドレー監督の『恋の病い』Maladie d'amour(1987年)の映画音楽では、当時のムスマッラが多用していた自身がプロデュースする歌手のポップスを主題歌に採用する方式を採らずに、ソプラノ歌手がイタリア語の歌詞を歌うオペラティックなアリア風歌曲を提供し、クラシカルで重厚な映画音楽に仕上げていた。ムスマッラは後年、ルチアーノ・パヴァロッティへの歌曲提供やヴィットリオ・グリゴーロのポップス進出のプロデュースを行うなど、イタリア・オペラ界に密接に関わっていく。 また、1988年にはカルト的な人気を持つホラー映画監督ジェス・フランコによるスプラッター映画の傑作『フェイスレス』Les prédateurs de la nuit(1988年)の音楽を担当。主題歌としてイタリアの歌手ヴィンチェンツォ・トーマが歌うポップス「フェイスレス」Facelessを提供している。 1996年にヘンリー・ジェイムズの「教え子」をフランスで映画化したヴァンサン・カッセル主演の"L'élève"(1996年)に華麗な音楽を提供して以降は、映画音楽の作曲からは遠ざかり、ポップスの作曲・プロデュースに専念している。1998年には初めて母国イタリアの映画"Abbiamo solo fatto l'amore"(1998年)の映画音楽を手がけるが、この映画はほとんど話題になることなく終わり、現時点ではムスマッラにとって最後の映画音楽となっている。 ムスマッラがフランス映画の音楽を手がけ始めた時期はフランス映画の衰退が顕著な時期だっただけに、映画音楽における決定的な代表作を残せなかったことが惜しまれる。ムスマッラが音楽を手がけた映画としては最後の大作となった "L'élève" にしても、世界的にはレベルの低いモントリオール世界映画祭で監督賞を受賞した程度という寂しい評価に終わった。
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