映画と青蓮院
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 03:36 UTC 版)
大正から昭和にかけて、活動写真の撮影場所として門前の構えが重宝された。見識も高い寺で、映画人が心やすく出入りすることはできなかったが、門前の撮影だけは許された。この時代の撮影謝礼金は映画館の招待券十枚程度で、当時で五円ほど、これは上等旅館の一泊料金に相当し、現在なら二万円弱というところだった。 長い石段は馬の出入りが自由にできず、考証的に不合格と言ってよかったが、この門前の厳めしさと気品が雰囲気に合い、各撮影所が「町奉行所」とか「薩摩屋敷」として多用した。 稲垣浩監督は1941年(昭和16年)に阪東妻三郎主演の映画『江戸最後の日』で、薩摩屋敷としてこの門前を使った。ところがこの門前は北向きであるので冬季は門前に日が当たらず、夏季は楠が茂って門の半分を隠し太陽を遮ってしまい、しかも仰角度から狙えず、キャメラマン泣かせの場所だった。 1948年(昭和23年)に清水宏監督が青蓮院に立て籠り、『蜂の巣の子たち』という映画の構想を練った。戦災孤児や不良児たちを十数人この寺に収容し、その甦生を指導しながら彼らの日常生活や生態をドキュメンタリー風に写し撮ったのである。門前のほかは映画撮影のための入門を許さなかった青蓮院だが、当時この寺は経済的に困窮していたために相互扶助が生じたようで、実現しなかったが一時は「清水監督をこの寺の住職に」との話もあったという。
※この「映画と青蓮院」の解説は、「青蓮院」の解説の一部です。
「映画と青蓮院」を含む「青蓮院」の記事については、「青蓮院」の概要を参照ください。
- 映画と青蓮院のページへのリンク