明治維新と近代日本の展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 15:58 UTC 版)
詳細は「日本近代史」を参照 江戸幕府は日米和親条約を皮切りに開国を行い、それまでの対外政策を変更した。幕末期には人口増加も見られたが、尊王攘夷運動を経た明治維新で、明治政府は幕藩体制を崩壊させ中央集権化を進めた。近隣国と国境の確定を行い、1875年に樺太全域をロシア領とする代わりに占守島以南の千島列島全域を日本領とし(樺太・千島交換条約)、1876年に小笠原諸島の領有を宣言し、また、琉球処分を行うとともに1885年に大東諸島、1895年に尖閣諸島を編入し、南西諸島方面の実効的な支配を確立した。明治政府の対外政策の中心課題に不平等条約の撤廃があった。 自由民権運動を受けて1889年に発布された大日本帝国憲法により、アジアで初めて憲法と議会とを持つ、近代的な「立憲国家」となった。帝国憲法下では部分的な権利が保障されたが、1925年の普通選挙法で男子普通選挙制度が成立した。
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