明治維新と鉄道開通
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 01:00 UTC 版)
明治維新後、新宿の武家地は住むものがなくなり荒廃し始めた。そこで、とくに広大な敷地を誇った内藤新宿は大蔵省によって買い上げられ、海外から持ち込まれた動植物の適否を試験する「内藤新宿試験場」となり、1879年には宮内省の所轄となり「新宿植物御苑」と改称された。これが新宿御苑のおこりである。他方で、江戸時代の岡場所は、明治以降は遊廓となり、戦後の公娼廃止後もいわゆる赤線地帯として1958年の売春防止法施行まで続いた。 また、1885年に日本鉄道品川線(後の山手線)が開通し、新宿駅が宿場の西はずれ角筈(つのはず)に作られる。開業当時は田畑の広がる東京郊外の田舎の駅で、1日の利用者数は50人ほどであった。続いて、甲武鉄道(現:JR中央線)、東京市街鉄道が新宿駅に乗り入れ、1915年(大正4年)には京王電気軌道(現:京王線)が乗り入れ、ターミナル駅としての姿を見せ始める。
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