旧公家の伯爵家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 16:14 UTC 版)
叙爵内規では旧公家華族から伯爵になる者について「大納言迄宣任ノ例多キ旧堂上」と定められている。「大納言迄宣任ノ例多キ」の意味については柳原前光の『爵制備考』で解説されており「旧大臣家三家」「四位より参議に任じ大納言迄直任の旧堂上二十二家」「三位より参議に任ずといえども大納言迄直任の旧堂上三家」「大納言までの直任の例は少ないが従一位に叙せられたことのある二家」のことである。直任とは中納言からそのまま大納言に任じられることをいい、公家社会ではいったん中納言を辞して大納言に任じられる場合より格上の扱いと見なされていた。「直任」が内規では「宣任」に置き換えられたのは、この直任の例が一回でもあれば該当させるためである。具体的には以下の旧公家華族が伯爵に叙された。 旧大臣家 - 嵯峨家(大納言宣任数16回。後侯爵)、三条西家(同12回)、中院家(同10回) 旧堂上家 - 飛鳥井家(同14回)、姉小路家(同5回)、油小路家(同6回)、正親町家(同14回)、勧修寺家(同8回)、冷泉家(同14回)、烏丸家(同7回)、甘露寺家(同11回)、滋野井家(同7回。後失爵)、四条家(同13回。後侯爵)、清水谷家(同10回)、清閑寺家(同8回)、園家(同4回)、中御門家(同11回。後侯爵)、庭田家(同13回)、橋本家(同5回)、葉室家(同15回)、東久世家(同0回)、日野家(同15回)、広橋家(同5回)、坊城家(同9回)、松木家(同4回)、万里小路家(同9回)、室町家(同12回)、柳原家(同14回)、山科家(同5回)、鷲尾家(同8回) 陞爵 - 大原家(大原重朝)、沢家(沢宣量)、壬生家(壬生基修) 上記のうち東久世家は代々中納言、参議まで昇進したが大納言まで進んだことはないので本来は子爵だったが、東久世通禧の幕末の尊皇攘夷運動への貢献と政府で要職を歴任した勲功により当初から伯爵位を与えられた。羽林家や旧家であることが伯爵の条件かのように説明する俗説もあるが誤りである。叙爵内規は羽林家・名家・半家、あるいは旧家・新家の区別で爵位の基準を定めていない。半家からは伯爵家が出ておらず、全て子爵家になっているが、これは半家がすべて非藤原氏であり、公家社会における家格が低く、極官もせいぜい各省の長官(卿)だったので、叙爵内規の定める条件を満たすことができなかったのが原因である。半家は伯爵になれないとか、藤原氏でないと伯爵以上にはなれないという定めがあったわけではない点には注意を要する。また旧家の方が新家より伯爵輩出率は高いが、それは単に家の歴史が長いので大納言直任の機会が多いというだけのことであり、新家は伯爵になれないなどという定めがあったわけではない。
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