旧中里村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/02 02:24 UTC 版)
踊石町(おどりいしちょう) 町名は黄斑免の小字「踊石」から。小川内川右岸の山間部で、中里の北東端にあたる。皆瀬幼稚園があり、市道が皆瀬方面に拡張されている都合上、中里よりも皆瀬との関係が深い。緩やかな斜面上にあり、集落は川沿いの平地に集中している。水田と山林がほとんどを占める。 上本山町(かみもとやまちょう) 中里の東端にあたり、小川内川を挟んで皆瀬町に対面する。市役所中里皆瀬支所・公民館、農協、中里駅が位置するが、中里の中心地からは大きく離れている。国道204号のバイパス沿線にはスーパーマーケットやカーディーラーが並び、旧道沿いに古くからの集落が並ぶほか、北部の山手には桧台ニュータウンが造成されている。 下本山町(しももとやまちょう) 中里の北西端にあたり、国道204号と県道11号(相浦方面)が分岐する交通の要衝。交差点付近にロードサイドショップが並び、北側の旧道沿いには本山駅があり、集落が集中する。国道バイパス工事で弥生時代の集落「四反田遺跡」が発見されている。旧国道そばのいわゆる「嘘越」と呼ばれる地域には、佐世保市北部のゴミを処分する西部クリーンセンターが位置する。 岳野町(たけのちょう) 中里の北部に位置し、佐々町に接する。相浦川と佐々川の分水嶺の南斜面にあたり、緩やかな斜面となっているため、灌漑溜池が点在し、山間部ながら棚田が発達している。民家は各地に点在し、農地のほかは山林に覆われている。 中里町(なかざとちょう) 中里の南部に位置し、相浦地区と接する。相浦川左岸の旧中里宿から将冠岳中腹の高筈まで細長く広がっている。中里宿は平戸往還の本陣が置かれた宿場で、当時の町割が残る。高筈は農地だが、中里宿に下りる道は険しく、途中は山林に覆われている。中里小学校の通学路は狭く、登校時は一方通行となる。中里中学校は皆瀬からの通学を考慮して町の東の外れにある。 八の久保町(はちのくぼちょう) 中里の北西に位置し、佐々町に接する。緩やかな斜面上にあり、旧平戸往還の半坂越が現在も主要な交通路である。なだらかな勾配のため、半坂越はほぼ一直線に峠まで上りきる。集落は半坂峠付近に固まり、斜面は棚田や茶畑など農地として活用されている。 吉岡町(よしおかちょう) 中里の最東端で、対岸の皆瀬地区野中町よりも東に張り出して大野地区の瀬戸越町と接する。将冠岳北麓の斜面上にあり、中腹から山頂にかけては山林。旧平戸往還沿線は古くからの農村である。佐世保商業高校への通学路は険しい。国道沿いの平地には、炭鉱転換団地の希望が丘団地やロードサイドショップが並ぶ。小学校の校区は町の東西で皆瀬小学校・中里小学校に分かれる。
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