日本女性航空協会とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 日本女性航空協会の意味・解説 

日本女性航空協会

(日本婦人航空協会 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/19 00:53 UTC 版)

日本女性航空協会
一般社団法人日本女性航空協会
Japan Women's Association of Aviation
略称 JWAA
標語 空を愛する女性たちのネットワーク
設立 1952年5月24日[1]
設立者 及位ヤヱ[2]
木部シゲノ[3]など
種類 非営利団体
法人番号 1010005017335
法的地位 一般社団法人
目的 女性の立場から航空思想の普及、航空文化の発展を図り、並びに広く国際航空女性団体と交流し、もって日本航空界の健全な発達と航空による世界の友情、繁栄及び平和の建設に寄与すること
本部 日本 東京都港区新橋1丁目18番1号 航空会館8F
理事長 浦松香津子
提携 国際女性航空協会wikidata
韓国女性航空協会wikidata
ウェブサイト www.jwaa.or.jp
特記事項 1972年当時の正会員数は142人[4]
かつての呼び名
日本婦人航空協会
テンプレートを表示

一般社団法人日本女性航空協会(にほんじょせいこうくうきょうかい、英語: Japan Women's Association of Aviation, JWAA)は、日本航空業界における女性たち[注釈 1]のためのネットワークとして、女性の活躍と航空界の発展を図るための公益法人

沿革

  • 1952年昭和27年)
    • 5月24日 - 日本婦人航空協会創立。
    • 6月1日 - 国際婦人航空協会wikidata日本支部設立。
    • 10月22日 - 社団法人認可登記。
    • 11月1日 - 月刊機関誌『婦人航空』発刊。
  • 1965年(昭和40年)7月1日 – 住居表示実施により東京都港区芝田村町1丁目3番地[5]から同区新橋1丁目18番1号(飛行館内3階)に所在地の表記を変更。
  • 1973年(昭和48年)4月21日 - 韓国女性航空協会wikidataと姉妹協会提携。
  • 1976年(昭和51年)12月15日 - 国際婦人年をきっかけに東洋女性航空連盟を結成。
  • 1996年平成8年)
    • 1月1日 - 『婦人航空』から『空のワルツ』に機関誌名を変更。
    • 12月1日 - ホームページ開設。
  • 1997年(平成9年)11月27日 - 「空を愛する女性たちを励ます賞」を創設。
  • 2000年(平成12年)6月15日 - 日本女性航空協会に改称。
  • 2011年(平成23年)4月 - 事務所を千代田区二番町1番地2の番町ハイムに移転。
  • 2012年(平成24年)4月 - 公益法人制度改革により一般社団法人日本女性航空協会へ移行。
  • 2021年令和3年)3月15日 - 事務所を港区新橋1丁目18番1号の航空会館(B1F)に移転。
  • 2024年(令和6年)10月1日‐事務所を航空会館B1Fより同8Fに移転

歴代理事長

  1. 柳田美代子(1952年5月 - 1954年) - 日本航空初代社長柳田誠二郎の妻[6]エアガール (テレビドラマ)#日本民間航空の関係者の項目も参照。
  2. 西原小まつ(1954年5月 - 1967年) - 日本女性パイロットの草分け。
  3. 及位ヤヱ(1967年5月 - 1995年) - 日本女性パイロットの草分け。協会創立時から理事兼事務局長を務めた[7]
  4. 北野蓉子(1995年12月 - 2009年) - 日本ヘリコプター輸送全日本空輸客室乗務員1期生[8]
  5. 鐘尾みや子(2009年5月 - 2024年) - 女性パイロット、元特許庁主席審判官[9]
  6. 浦松香津子(2024年5月‐現在)‐元国土交通省航空局運航審査官 航空従事者試験官

なお、初代の柳田美代子の頃は、理事長のほかにも会長の職が設けられ、麻生和子(当時の内閣総理大臣吉田茂の三女)が就いていた[10]。対外的には会長の方が協会を代表していたとみられる[注釈 2]。次代でも、麻生は、理事長を退任した柳田とともに顧問の地位にあった[11](麻生の場合は「最高顧問」とも表記[4][注釈 3]。のちに、顧問の中には他に安倍洋子(元内閣総理大臣岸信介の長女)の名もあった[4]

脚注

注釈

  1. ^ 会員の中に自然人のほかに団体が含まれるもの。定款第6条を参照。
  2. ^ 創立時の協会に置かれていた会長は、理事などの役員としての職責を負わない名誉職に近い立場であったと考えられるが、要人に身近な人物が会長となっていたことからも、協会の中での最高の地位であったとみなすことができる。
  3. ^ なお、退任した理事長が顧問になることは世間一般の慣行から見て珍しいことでなく、及位ヤヱの代でも、前任の西原小まつが顧問であった。また、代替わりとともに、協会創立時からの理事であった木部シゲノも顧問となった[4]

出典

  1. ^ 沿革 JWAAの歴史 - ウェイバックマシン
  2. ^ 「インタビュー:及位ヤエ 想像どおりの空だった――翼で感じる空の果てしない魅力 インタビュアー/畑 恵」『ていくおふ』通巻第49号、全日本空輸株式会社、1990年1月、32頁、NDLJP:2838544/18 
  3. ^ 桑原達三郎『太刀洗飛行場物語』葦書房有限会社、1981年9月、44頁。NDLJP:12018495/28 
  4. ^ a b c d 『日本職員録』(第14版 下)株式会社人事興信所、1972年11月、団体の部 162頁。NDLJP:2997289/444 
  5. ^ 『運輸大臣の主管に属する公益法人一覧表』(昭和30年11月1日現在)運輸省大臣官房文書課、1955年、45-46頁。NDLJP:2477608/39 
  6. ^ 『現代財界家系譜』(第2巻)現代名士家系譜刊行会、1969年4月、482頁。NDLJP:3026596/519 
  7. ^ 「交通文化賞受賞者の紹介 及位ヤエ」『トランスポート』第27巻第1号、大蔵省印刷局、1977年1月、49頁、NDLJP:2786399/26 
  8. ^ 「セキュリティ対談:女性の目が捉えた空の安全 北野蓉子×野村緑」『セキュリティ』第22巻第3号、株式会社セキュリティワールド、1998年7月、4頁、NDLJP:2380131/4 
  9. ^ 第296回『航空と宇宙』定例講演会”. 一般財団法人日本航空協会. 2024年2月7日閲覧。
  10. ^ 『国勢総覧』(第14版)国際連合通信社、1956年8月、団体編 59頁。NDLJP:1692757/440 
  11. ^ 『丸之内総覧』(昭和35年版)株式会社丸之内興信所、1959年12月、568頁。NDLJP:2457820/364 

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  日本女性航空協会のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「日本女性航空協会」の関連用語

日本女性航空協会のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



日本女性航空協会のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの日本女性航空協会 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS