日本人選手の活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/02/10 01:59 UTC 版)
「トリノオリンピック」の記事における「日本人選手の活躍」の解説
日本勢は前回のソルトレイクシティ大会に続く不振で、113人という大選手団を送り込みながら、メダルはフィギュアスケート、荒川静香の金メダル1個だけにとどまった。1976年のインスブルック大会以来のメダルゼロという不名誉は免れたが、長野大会以降2大会のメダリストは長野での代表のみであり世代交代が一向に進んでいない現実が顕著に示され各国・地域のメダル獲得数順位も18位という結果となった。 1984年サラエボ大会の北沢欣浩以来6大会連続でメダルを獲得していたスピードスケートはメダル獲得ならず、男子で及川佑、女子で岡崎朋美がそれぞれ500mで4位に入ったのが最高だった。長野、ソルトレイクシティの両大会のメダリストである清水宏保は18位に終わった。 スノーボードは直前のワールドカップでの好成績から、メダル独占という声もあったが、エックスゲームズや賞金マッチ等を主戦場とし、ワールドカップに積極的に参加していなかったトッププロが多数参加したオリンピックでは思うような成績が残せず、予選落ちが続出する結果となった。また國母和宏や村上史行などハーフパイプ選手らが選手村の壁を破るなど生活態度の悪さも問題視された。 バイアスロンは最高成績選手でも50位台、お家芸といわれたジャンプも団体で6位入賞止まりであった。 一方で、1992年アルベールビル大会のノルディック複合団体以来4大会連続でメダルを獲得していたスキー陣(アルペン・ノルディック・フリースタイル)はメダルには届かなかったものの、皆川賢太郎と湯浅直樹がアルペンスキー男子回転で4位と7位に入り、1956年コルティナダンペッツォ大会での猪谷千春(現IOC副会長)の銀メダル以来50年ぶりのアルペン種目での入賞(複数入賞は史上初)を果たした。また、ノルディックスキー距離女子団体スプリントで夏見円と福田修子のコンビが、日本の女子距離種目としては初となる8位入賞、日本女子カーリング代表「チーム青森」など大会前の低評価を覆し健闘したケースも目立った。
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