日本人選手のリング禍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 14:27 UTC 版)
日本国内のプロレス興行において、日本人選手が試合中の事故により死亡した事例は5例発生している。 1997年8月15日、プラム麻里子(JWP女子プロレス)が、広島市での試合中に尾崎魔弓のライガーボムを受けて意識不明となり、救急搬送され開頭手術を受けたが、翌16日、脳挫傷及び急性硬膜下血腫による急性脳腫脹のため死亡。日本プロレス史上初の試合中の事故による死亡事例となった。 1999年3月31日、門恵美子(アルシオン)が福岡市での試合中に吉田万里子にキーロックをかけていた際、自身の体を持ち上げられてそのまま側頭部からマットに落とされて意識不明となり、開頭手術を受けたが、9日後の4月9日、急性硬膜下血腫及び脳挫傷のため死亡が確認された。 2000年4月14日、福田雅一(新日本プロレス)が、宮城県気仙沼市での試合中に柴田勝頼のエルボーを受けて意識不明となり、開頭手術を受けたが、5日後の4月19日、急性硬膜下血腫のため死亡した。日本における初の男子選手の試合中の事故による死亡事例。 2009年6月13日、三沢光晴(プロレスリング・ノア代表取締役兼選手)が広島市での試合中に齋藤彰俊のバックドロップを受けて頸髄離断を発症、心肺停止状態となり病院へ搬送されたが同日夜に死亡した。 2015年11月3日、グラン・ハマチ(フリー)が、プロレスリング・SECRET BASEが開催した東京都足立区での興行の試合後に体調不良を訴え、緊急搬送先の病院で死亡した。
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