日本の牛車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 02:01 UTC 版)
牛車は馬車とともに中国から伝わったと推定されている。牛車は大きく分けて荷車用と乗用の2つの要素があった。牛車は速度が遅い反面、大量の物資を運ぶのに向いていたため荷車として活用されて『石山寺縁起絵巻』や『方丈記』などにも登場する。運ぶ物資や速達性によって牛車と馬車の使い分けがされていたと推定され、中世に入るとそれぞれ車借・馬借と呼ばれる運送業者が成立することになった。 中国では196年に後漢の献帝が長安から洛陽へ脱出する途中、車を破損した献帝が農民の牛車に乗って洛陽に辿り着いたという故事から、貴人がウシに乗るようになったという伝承がある。中国の律令制を取り入れた日本でもこの影響を受けたと言われている。 日本の平安時代では貴族の一般的な乗り物であった。移動のための機能性よりも使用者の権威を示すことが優先され、重厚な造りや華やかな装飾性が求められた[要ページ番号]。そのため、金銀の装飾を施すなど華麗という以上に奢侈に流れる弊害が出たことから、894年(寛平6年)には一時乗車が禁止されたこともある。 武家が政権を取った鎌倉・室町時代には、牛車に乗る権利を持つ従五位以上の官位を持つ武家衆も多く現れたが、実際に牛車を使ったのは将軍家のみである。応仁の乱以後には貴族のあいだでも牛車は廃れて消滅してしまうが、1588年(天正16年)に豊臣秀吉が聚楽第行幸に際して牛車を新調した。秀吉の牛車は御所車と呼ばれるもので、古法に則った牛車よりも巨大な物だったと考えられる。
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