日本の特務機関への協力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/14 15:47 UTC 版)
篠崎 (1981, p. 51)によると、日本の戦況不利が伝えられていた1944年頃、蔡は篠崎を訪ね、茨木機関に協力することになったと報告したという。本田 (1988, p. 41)では、蔡が憲兵隊に捕えられていたところを、重慶無線スパイ検挙事件で日本軍に検挙されて対日協力者となった陳奇山のつてで茨木機関が「貰い下げた」としており、中西 (1994, p. 139)では、蔡の息子がスパイ容疑で憲兵隊に捕まったのを、機関で貰い下げて助けたと聞いた、としている。 蔡はそれほど大きくない米屋・雑貨屋を営む一方で、たくさんのジャンクを保有する船主で、日本の特務機関に協力するかわりに、密貿易を黙認してもらっていた。 蔡は、日本側の肝煎りでできた慈善団体・黒十字会を主宰し、黒十字会は、日本軍の指示を受けて密輸を行い、昭南にあった砂糖、煙草、衣料品、薬品などをビルマ・タイ王国・仏印へ運び、米と交換して食糧の不足している昭南へ運び、半分を軍に納品し、残りを船主である蔡らが取って、更にその半分を黒十字会の慈善事業として公定価格と闇値の中間程度の価格で市民に販売した。黒十字会の売上資金は浪機関の工作資金として使用され、蔡も密貿易によって巨額の利益を得たとされる。
※この「日本の特務機関への協力」の解説は、「蔡和安」の解説の一部です。
「日本の特務機関への協力」を含む「蔡和安」の記事については、「蔡和安」の概要を参照ください。
- 日本の特務機関への協力のページへのリンク