日本の刀剣の鍔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 17:36 UTC 版)
日本における鐔の起源は少なくとも古墳時代まで遡ることが知られ、鉄製または鉄地金銅装の「倒卵形(とうらんがた)」とよばれる鐔が、頭椎大刀(かぶつちのたち)や環頭大刀(かんとうたち)などの装飾付大刀に附帯して各地で発掘されている。鐔を古くは「つみは・津美波」といったが詰まって「つば」となった。 その後、日本独自の刀剣の様式が確立されていくに従い、鍔も重要な刀装部具として発展する。 日本の刀装の場合、太刀様式のものではなく打刀様式の“差す”刀に鍔が付くようになったのは南北朝時代から室町時代に入った時期であり、下級の足軽の用いるような普及品の刀装に至るまで刀(打刀)に大型の鍔が付くようになったのは大坂の陣の前後のことである。各種の資料や寺社の遺品からは、安土桃山時代ではまだ消耗品としての低級な刀装では鍔がないか、付いたとしても総じて小振りなものであったことが伺われる。 尚、日本刀の場合、鍔の目的は刀を握った手を護る、というよりは突いた際に自分の手が刃の方に滑らないようにするためのもので、敵の刃から自分の手を護ることは二次的なものである。鯉口を切る上で利便であることや、刀身との重量のバランスを取ることが鍔の重要な役目である。 寿老人図鍔、土屋安親の作、江戸時代中期、特別重要刀装具 松樹尾長鳥図大小鍔(下)・縁頭(上)、石黒政美の作、江戸時代後期、特別重要刀装具 土蜘蛛退治図鐔、初代海野美盛作(左、江戸時代)、吾竹貞勝作(右、明治時代)、ボストン美術館蔵 藻鯉図鐔、寛斎作 1868年(寛永4年)、メトロポリタン美術館蔵 19世紀前半の砂川正吉の作の鐔、メトロポリタン美術館蔵 19世紀の藤原壽良作の鹿がデザインされた鐔、メトロポリタン美術館蔵
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