日本の分子生物学
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富澤純一(1989年-1997年国立遺伝学研究所第6代所長)がアメリカから帰国後、アメリカで起こった分子生物学を理解できる研究者を育てるために第一回ファージ講習会を1961年8月金沢大学医学部の実習室を使って10日間開催したことが日本の分子生物学が発展する重要な契機となった。第三回から第七回までのファージ講習会は四国の大阪大学微生物病研究会観音寺研究所で開かれた。このファージ講習会で分子生物学を学んだ研究者が中心となり日本の分子生物学研究の基盤を造った。(朝日選書 渡辺政隆著 DNAの謎に挑む 遺伝子探求の一世紀より) 1978年には渡邊格らを中心として日本分子生物学会が結成された。当初の会員数は600人程度で年会の演題数も160程度であったが、1998年には会員数が1万人を超え、年会の演題数も2千を超えるまでになった。
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