日本における絵仏師の発生とは? わかりやすく解説

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日本における絵仏師の発生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/17 04:57 UTC 版)

絵仏師」の記事における「日本における絵仏師の発生」の解説

日本では仏教はじめとする中国文化とともに絵画の制作専門とする画工画師仕組導入された。聖徳太子時代画師制度制定され律令制において画工司設置された。当時画師画工は必ずしも仏教専門のものではなかったが、東大寺などの造寺司所属する画師存在した。なお、画工司大同3年808年)に内匠寮統合され画師たちも同寮に属している。 その頃密教日本に伝来されて急速に上流階層浸透していった。密教には曼荼羅はじめとする多く仏教絵画が必要とされ、それら仏教絵画修行儀式とは切って切り離されないものであり、それらの作成するための技能持った専門的な能力有するものが必要とされた。更に平安時代中期以後仏教関連専門工匠僧籍に入る習慣生まれ宮廷あるいは一般対象とした工匠との区別図られるようになったこのため仏教絵画を扱う画師画工僧形を採り、あるいは僧侶の中で画才のある者が仏教絵画にも参加する形で、絵仏師原形生み出されたと考えられている。もっとも、当時はこうした仏教絵画制作する僧侶は、仏像そのもの制作にあたる仏師のうちに含まれていたと考えられ10世紀活躍した仏教絵画作家である定豊・平慶・玄朝などは全て仏師」と称されている。11世紀に入ると、仏像制作する木仏師」と呼ばれる一般的な仏師に対して仏教絵画制作する絵仏師」という概念現れるうになるが、「絵仏師」の語が広く用いられるようになったのは鎌倉時代後期とする説もある。 治暦4年1068年)、教禅が法成寺御仏図絵の賞として法橋授けられ以後平安時代後期から鎌倉時代初期にかけて、智順・成忍など多く絵仏師活躍したそれに伴い絵仏師地位子弟門人職として継承されるようになり、詫摩為遠を祖とする宅磨派のように、絵仏師専門とする流派成立するようになった

※この「日本における絵仏師の発生」の解説は、「絵仏師」の解説の一部です。
「日本における絵仏師の発生」を含む「絵仏師」の記事については、「絵仏師」の概要を参照ください。

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