日本における綿栽培の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/03 08:52 UTC 版)
「知多木綿」の記事における「日本における綿栽培の歴史」の解説
平安時代初期の延暦18年(799年)には、天竺人(インド人)が三河国幡豆郡に漂着して、綿の種子とその栽培方法を伝えた。これが日本における綿業の起こりであるとされる。応永年間(1349年-1427年)には朝鮮や明から大量の綿布が輸入され、木綿織りの技術などももたらされた。初めて知多半島に綿の種子を植えた人物は、三河武士の平野萬右衛門であり、知多郡大野村の綿屋六兵衛の祖である。天正3年(1575)に三河国長篠城で行われた長篠の戦いでは鉄砲が大量に使用されたが、鉄砲の火縄には木綿が使われたこともあり、16世紀後半には木綿の需要が増大した。
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