日本における就航事情と愛好家からの注目
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 03:46 UTC 版)
「ボーイング757」の記事における「日本における就航事情と愛好家からの注目」の解説
757は日本の航空会社による発注・導入が1機もなく生産終了を迎えたが、一方で、同時期に開発された767は、登場後間もない1980年代前半から急速に日本の航空会社での導入が進んだ。日本の航空会社が767を選択した主な理由の1つとして、767の開発・製造に日本の航空工業界が参画していたことが挙げられている。757は、海外から日本への飛来数も多くなく、1982年8月にデモフライトで新東京国際空港(当時)を訪れたのが初飛来となったが、以降、1987年9月にブルネイ王室のチャーター便としてロイヤルブルネイ航空の757が来日するまで、5年以上も日本には飛来実績はなかった。その後も年に数回程度チャーター便で来日する程度で、定期便として757が日本へ就航したのは、1994年10月にロイヤル・ネパール航空が757-200Mで関西国際空港への路線を開設したのが初めてとなった。 757の収容力や航続距離ではアメリカやヨーロッパからの長距離定期便には向いていないため、757が定期便で日本に乗り入れる可能性があるのはアジア地域の航空会社に限られる。その中でも定期路線運航の機材として757で日本に乗り入れを継続している航空会社が少なく、2003年9月までに定期便に757を使用して乗り入れていたのは一時的な機材変更を除けば前述のロイヤル・ネパール航空とUPSしかなかった。その後、2003年9月30日から、ノースウエスト航空が成田国際空港からアジア地区やグアム、サイパンへ向かう路線に就航させるため、それまで同様の目的で使用していたA320に代わって5機の757を成田に常駐させたことで、日本の空港を拠点とした757の運航が行われるようになった。その後、ノースウエスト航空がデルタ航空と合併した後も日本発着の757の運航は続けられ、2014年12月には、デルタ航空は成田空港に757を含む機材の整備拠点を開設している。しかしその後、2018年1月に成田 - グアム路線が運休、さらに同年5月6日をもって成田 - サイパン・パラオ(コロール)路線が運休となり、デルタ航空は日本 - ミクロネシア間の定期便運航から撤退した。 757はアメリカやヨーロッパのみならず、南アメリカでもメジャーな存在であったにもかかわらず、日本においてはなかなか見ることのできない航空機であったことから、日本の航空ファンからの注目を集めた。1987年12月にロイヤル・ネパール航空が民間チャーター便を名古屋空港発着で運航した際には、日本発着の民間チャーター便としては初めて757を使用したこともあり、ツアーの旅客数並みの航空ファンが名古屋空港を訪れたという。イカロス出版の雑誌『月刊エアライン』には、日本にチャーター便などで飛来した航空機の写真を掲載する「飛来機王国」というコーナーが存在するが、このコーナーを10年以上担当している編集者によれば、757が飛来すると写真の投稿数が増加する傾向があり、日本への757での乗り入れ実績が多い航空会社のチャーター便であったとしても、757であるというだけで写真投稿数が増えたという。
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