日本での販売と日本法人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/13 17:32 UTC 版)
「ゼネラルモーターズ」の記事における「日本での販売と日本法人」の解説
1915年(大正4年)創業の梁瀬自動車(現ヤナセ)が輸入代理店としてGMのビュイック、キャディラックの販売を開始。当時の呼び方は、ビュイックは『ビウイク号』、キャディラックは『カデラツク号』だった。のちシボレー号も販売開始。 1925年(大正14年)、フォードが日本に進出し、神奈川県横浜市に組立工場を開業した。GMは1927年、大阪市港区(現・大正区)鶴町一丁目(現在の大阪市営渡船船町渡船場付近)に日本法人の「日本ゼネラル・モータース」を設立し、組立工場でのシボレー車の完全ノックダウン生産と販売を行う。フォード同様、日本だけでなく中華民国や満洲国などアジア全体を視野に入れての進出だった。 日本における影響は大きく、全国に渡る自動車販売サービス(販売・整備)網を構築し、以後の自動車販売業界はここから発展したものである。昭和初期の日本国内の中型車市場は、GMのシボレー車とフォード車の独擅場だった。 しかし1930年代中盤には日米間の関係が悪化、1936年(昭和11年)の自動車製造事業法施行により日産自動車やオオタなどの国産メーカーのみに大量生産が許され、発展の余地がなくなり、さらに1941年(昭和16年、大東亜戦争開戦の年)に日本から撤退した。 第二次世界大戦後、再びヤナセが日本市場の販売代理店を長期間つとめる一方、車種によっては西武自動車販売、日英自動車、東邦モーターズ、三井物産オートモーティブもGM車販売に参入していた。 近年の日本法人は日本ゼネラルモーターズ(GMJ)とゼネラルモーターズ・アジア・パシフィック・ジャパン(GMAPJ)の2社体制であったが、2011年(平成23年)に両社は合併し、「ゼネラルモーターズ・ジャパン株式会社」となった。現在はキャディラックとシボレーブランドを販売している。
※この「日本での販売と日本法人」の解説は、「ゼネラルモーターズ」の解説の一部です。
「日本での販売と日本法人」を含む「ゼネラルモーターズ」の記事については、「ゼネラルモーターズ」の概要を参照ください。
- 日本での販売と日本法人のページへのリンク