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日岡古墳

名称: 日岡古墳
ふりがな ひのおかこふん
種別 史跡
種別2:
都道府県 福岡県
市区町村 うきは市
管理団体
指定年月日 1928.02.07(昭和3.02.07)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 前方円型ニシテ畧ボ西方二面ス其ノ封土上部ヲ鑿平セラルルモ現存ノ高サ前方部ニテ十一後円部テ約十四全長二百八十後円部中央ニハ天井石ノ除カレタル石槨存シ其ノ内側ニ赤緑白ノ顔料ヲ以テ同心円蕨手三角形ノ文樣ヲ描ケリ
此ノ種ノ裝飾石槨ニ施セル古墳トシテ最モ主要ナルモノノ一ニ属ス
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史跡:  日吉神社境内  日向国府跡  日向洞窟  日岡古墳  日拝塚古墳  日根荘遺跡  日輪寺古墳

日岡古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/27 08:30 UTC 版)

日岡古墳
墳丘(左に後円部、右に前方部)
別名 日ノ岡古墳
所属 若宮古墳群
所在地 福岡県うきは市吉井町若宮366-6(若宮八幡宮境内)
位置 北緯33度20分40.40秒 東経130度46分1.92秒 / 北緯33.3445556度 東経130.7672000度 / 33.3445556; 130.7672000座標: 北緯33度20分40.40秒 東経130度46分1.92秒 / 北緯33.3445556度 東経130.7672000度 / 33.3445556; 130.7672000
形状 前方後円墳
規模 墳丘長74m
埋葬施設 両袖式横穴式石室
出土品 馬具片・埴輪
築造時期 6世紀初頭
史跡 国の史跡「日岡古墳」
特記事項 装飾古墳
地図
日岡古墳
テンプレートを表示
300 m
日岡古墳
若宮古墳群分布図

日岡古墳(ひのおかこふん、日ノ岡古墳)は、福岡県うきは市吉井町若宮にある古墳。形状は前方後円墳。若宮古墳群を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定されている。

概要

若宮古墳群一覧
古墳名 墳丘 埋葬施設 築造時期 史跡 備考
月岡古墳 前方後円墳 95m 竪穴式石室ほか
(長持形石棺)
5c中 なし 出土品は重要文化財
塚堂古墳 前方後円墳 91m 横穴式石室2基 5c後半 なし
日岡古墳 前方後円墳 74m 横穴式石室 6c初頭 国史跡 装飾古墳

福岡県南部、筑後川南岸の台地上に築造された古墳である。月岡古墳塚堂古墳とともに若宮古墳群を形成する。1887年明治20年)に発掘されて石室の装飾が発見されている。

墳形は前方後円形で、墳丘主軸を東西方向として、前方部を西方向に向ける。墳丘周囲には一重の周濠が巡らされる。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、南西方向に開口した(現在は羨道部で閉塞、玄室天井が崩落して開口)。玄室・羨道からなる単室構造の装飾石室で、玄室奥壁に赤・白・緑色の3色の顔料で6個の大型同心円文が描かれるほか、石室全面に幾何学的文様・具象的文様が描かれる。石室内の副葬品は詳らかでない。

築造時期は、古墳時代後期の6世紀初頭頃と推定される。若宮古墳群では、月岡古墳・塚堂古墳に後続する最後の首長墓である。代表的な装飾古墳の1つであり[1]、壁画系の装飾古墳では初期段階のものとして、古墳時代当時の装飾を考察するうえで重要視される古墳になる[2]

古墳域は1928年昭和3年)に国の史跡に指定されている。現在では石室は覆屋内で保存されているが、覆屋内への立ち入りは制限され、毎月第3土曜日の古墳見学時に公開されている。

遺跡歴

  • 1887年明治20年)、発掘・石室装飾の発見、馬具片の採集(坪井正五郎1889年に報告)。
  • 発掘後、多少の修理のうえで石室の閉鎖。
  • 1925年大正14年)刊行の『史蹟名勝天然紀念物調査報告書』第1輯で報告。
  • 1928年昭和3年)2月7日、国の史跡に指定。
  • 1964年(昭和39年)、コンクリート製石室覆屋の設置。

墳丘

後円部墳頂

墳丘の規模は次の通り[1]

  • 墳丘長:約74メートル
  • 後円部 直径:約40メートル
  • 前方部 幅:約35メートル

埋葬施設

埋葬施設としては両袖式横穴式石室が構築されており、南西方向に開口した(現在は羨道部で閉塞、玄室天井が崩落して開口)。玄室・羨道からなる単室構造の石室である。石室の規模は次の通り[3]

  • 石室全長:現在5.1メートル
  • 玄室:長さ4メートル、幅2.1メートル(奥壁)・2.8メートル(最大)、高さ約2.3メートル

石室の石材は安山岩の割石。玄室は胴張りの平面形を呈する。玄室の奥壁には、幅2.2メートル以上・高さ1.9メートル以上の大石1石をほぼ垂直に立てて鏡石とした上に、2-3段の割石を積み、石棚も設ける。側壁はやや持ち送って内傾する[3][2]

石室の壁面では多数の装飾が描かれている。奥壁には、赤・白・緑の3色の顔料を使用して6個の大型同心円文のほか蕨手文・連続三角文などを配する。また側壁には、同心円文・三角文のような幾何学的文様や、盾・靫・大刀などの武器・武具や魚・船・馬・獣などの具象的文様が色を使い分けて描かれる[2]

文化財

国の史跡

  • 日岡古墳 - 1928年(昭和3年)2月7日指定[4]

関連施設

  • 吉井歴史民俗資料館(うきは市吉井町) - 日岡古墳の出土品を保管・展示。

脚注

  1. ^ a b 若宮古墳群(平凡社) 2004.
  2. ^ a b c 「日岡古墳」『行って見る? うきは市の装飾古墳』うきは市教育委員会、2022年。
  3. ^ a b 日岡古墳(古墳) 1989.
  4. ^ 日岡古墳 - 国指定文化財等データベース(文化庁

参考文献

(記事執筆に使用した文献)

関連文献

(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 坪井正五郎「筑後國日の岡にて古代紋樣の發見」『東洋學藝雜誌』第6巻第88号、東京社、1889年1月、35-41頁。 
  • 「筑後日ノ岡の石槨內面模樣」『考古學雜誌』第4巻第12号、考古學會、1914年8月5日、783-784頁。 
  • 「日ノ岡、月ノ岡古墳」『史蹟名勝天然紀念物調査報告書』 第1輯、福岡県、1925年。  - リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」。
  • 『吉井町誌』 第1巻、吉井町、1977年。 
  • 『若宮古墳群1 -月岡古墳・塚堂古墳・日岡古墳-』吉井町教育委員会〈吉井町文化財調査報告書第4集〉、1989年。 
  • 『若宮古墳群2 -塚堂古墳・日岡古墳-』吉井町教育委員会〈吉井町文化財調査報告書第6集〉、1990年。 

関連項目

外部リンク



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