施設の内部
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 16:09 UTC 版)
正門を入って程なく右手に参集所があり、墓参者が休憩できるようになっている。参集所は宮内庁書陵部の管理棟も兼ねている。参集所の周りは割石を敷き詰めた庭と駐車場で、その奥は広めの空き地となっており、皇族の葬儀が執り行われる際に祭壇を設けるための礎石がある。あとの敷地内はほとんどが雑木林であり、いわゆる「音羽の森」の面影を残し、池袋周辺などに出没するカラスたちの宿り木となっている。この林のところどころを切り開き、それぞれの宮家ごとに鳥居と柵で囲われた区画が造られている。 隣接する護国寺との境界は地図等では識別しにくいが、侵入防止用のコンクリート塀や池などで仕切られている。 明治期から第二次世界大戦ごろまでに建立された墳墓はほとんどが土葬であったため、一般の「先祖代々之墓」のように一基の墓に複数の被葬者を合葬するのではなく、被葬者一人につき1基が設けられている。形はほとんどが明治以降の天皇と同じ円墳もしくは上円下方墳であるが、大きさは天皇陵に比べるとはるかに小さく、宮家当主の墓でも幅・高さとも2メートル以内のものが多い。一方、戦後に建立された墳墓は若干大型化した代わりに遺体を火葬に付し、秩父宮雍仁親王・同妃や高松宮宣仁親王・同妃のように一つの墓に夫婦合葬する傾向にある。
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