於美阿志神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/27 14:26 UTC 版)
於美阿志神社 | |
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所在地 | 奈良県高市郡明日香村檜前594 |
位置 | 北緯34度27分23秒 東経135度48分8秒 / 北緯34.45639度 東経135.80222度座標: 北緯34度27分23秒 東経135度48分8秒 / 北緯34.45639度 東経135.80222度 |
主祭神 | 阿智使主神夫妻二柱 |
神体 | 木造座像[注釈 1] |
社格等 |
式内社(小) 旧村社 |
創建 | 不詳(宣化天皇の崩御直後か) |
本殿の様式 | 流造銅葺 |
例祭 | 10月9日 |
地図 |
於美阿志神社(おみあしじんじゃ)は、奈良県高市郡明日香村にある神社。式内社で、旧社格は村社。檜隈寺の跡地に建つ。
祭神
歴史
この地は、第15代応神天皇の代に渡来した阿智使主の居住地跡とされ、7世紀後半には東漢氏の氏寺とされる檜隈寺が建立された。
その後、現在地から道を隔てた西側に阿智使主とその妻を祭神とする東漢氏の氏神[1]であり、檜隈寺の鎮守社として当社が創建された。
檜隈寺は鎌倉時代には道興寺と呼ばれており、当社は江戸時代には御霊明神と呼ばれていた。
明和9年(1772年)に本居宣長が当地を訪れた際には、檜隈寺は仮の庵が残るのみで境内には古瓦が散乱していたというが、檜隈寺は後に廃寺となっている。
1907年(明治40年)に檜隈寺の跡地に本殿が移築されている。
また、このあたりに宣化天皇の檜隈廬入野宮があったといわれているが、定かではない。
境内
- 本殿
- 拝殿
- 檜隈寺講堂跡 - 礎石が残る。
- 十一重石塔(重要文化財) - 平安時代後期に造られたと考えられる十三重石塔。現在は石塔の上部が損壊しているため十一重となっている。檜隈寺の塔基壇跡の上に建てられている。
- 檜隈寺塔跡 - 基壇が残る。付近にある心礎はレプリカである。
- 社務所
摂末社
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檜隈寺講堂跡と於美阿志神社社殿
-
十一重石塔
文化財
重要文化財
史跡
- 檜隈寺跡
祭事
- 連座祭 - 5月15日
- 秋祭 - 10月9日
現地情報
所在地
交通アクセス
脚注
注釈
- ^ 夫神は1尺2寸、婦神は1尺1寸
出典
- ^ 日本の神社研究会 2018, p. 142.
- ^ “文化財”. 明日香村. 2019年9月13日閲覧。
参考文献
- 日本の神社研究会『日本の神社100選:一度は訪れたい古代史の舞台』宝島社〈宝島社新書〉、2018年5月。ISBN 978-4-8002-8431-0。
関連項目
- 飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群
- 檜隈廬入野宮
- 檜隈寺跡
- 阿智神社 (阿智村)
- 安仁神社
- 阿智神社 (倉敷市)
- 阿志神社
外部リンク
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