方向・社会民主(SMER-SD)
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「方向・社会民主主義」の記事における「方向・社会民主(SMER-SD)」の解説
中道左派路線を明確にしたSMERは2004年12月、社会民主主義政党のSDĽ、社会民主オルタナティブ(SDA : Sociálnodemokratická alternatíva)、スロバキア社会民主党(SDSS : Sociálnodemokratická strana Slovenska)などの社会民主主義系の諸政党を吸収し、党名を「Smer-SD」(方向・社会民主主義)に変更した(2005年1月18日政党登録)。社会民主主義路線を明確に打ち出し、欧州連合加盟国の社民主義政党や労働運動組織で構成する欧州政党の欧州社会党加盟候補政党となった。 2006年国民議会選挙では得票率を倍増の29.14%とし、50議席を獲得して第一党となった。選挙後、民族主義政党のスロバキア国民党(SNS : Slovenská národná strana)およびポピュリスト政党の人民党・民主スロバキア運動(ĽS-HZDS : Ľudová strana - Hnutie za demokratické Slovensko)と連立し、フィツォが首相に就任した。排他的ナショナリズムの立場を取るSNSと連立政権を組んだことから、欧州社会党は2008年2月までSMER-SDの加盟候補資格を停止した。 2010年国民議会選挙では、得票率34.79%で前回を上回る62議席を獲得し、引き続き第一党の座を確保した。しかし連立相手の人民党・民主スロバキア運動(ĽS-HZDS)が議席阻止条項である5%の得票率を得る事ができず議席をすべて失い、SNSも改選前の20議席を大きく下回る9議席にとどまって共に惨敗。過半数を維持できなくなった。フィツォは選挙後、規定に基づきガシュパロヴィッチ大統領から首相指名を受けたものの、第二党のスロバキア民主キリスト教連合・民主党(SDKÚ-DS)など中道右派4党がSMER-SDとの連立を拒否したため、代わってSDKÚ-DS副党首のイヴェタ・ラジチョヴァーによる中道右派連立政権が発足し、SMER-SDは野党に転じた。 欧州金融安定化ファシリティ(EFSF)機能拡充条約批准支持の見返りとして2012年3月10日に繰り上げ実施された国民議会選挙では83議席を獲得、スロバキア議会選挙で初めて単独過半数を制することに成功した。4月4日、フィツォを首相とするSMER単独政権が発足した。 2013年11月(9日と23日投票)に行われた統一地方選挙では、県議会で161議席(前回2009年選挙は138議席)を獲得、ブラチスラバ県を除いた全ての県議会で第1党の座を確保。県知事では全8県中6県でSMER派の知事を当選させた。 2016年3月5日の国民議会選挙では、第一党の地位は保ったものの選挙前の83議席を大幅に下回る49議席を獲得するに留まった。その後の政党間交渉の結果、国民党、モスト=ヒード(架け橋)、ネットワークの三党と連立政権を樹立することで合意が成立し、3月23日に第三次フィツォ内閣が発足した。 2020年2月29日の2020年国民議会選挙では、方向・社会民主主義党議員とマフィアの関係を追っていたジャーナリストのヤン・クツィアクが2018年2月に婚約者とともに殺害された事件により、国民の信頼が損なわれたことにより、11議席も減らされ、与党の座を「普通の人々・独立した人達」(OLaNO)を第1党とする右派連立政権に明け渡すこととなった。
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