新線建設・施設改修
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 10:01 UTC 版)
「ロンドン・ブライトン・アンド・サウス・コースト鉄道」の記事における「新線建設・施設改修」の解説
イースト・サセックスのイーストボーンとからケントのタンブリッジ・ウェルズ(英語版)までを結ぶ計画は、1879年4月にヘイルシャム支線からヒースフィールド駅(英語版)までを結ぶ路線が開通して復活し、翌年9月にはヒースフィールドからイーリッジ駅(英語版)までが完成し、後にカックー線(英語版)と呼ばれるようになった。 1877年、シェフィールド伯爵(英語版)をはじめとする地元有力者によって設立されたルイス・アンド・イースト・グリンステッド鉄道(L&EGR)にも路線建設許可が与えられたが、この鉄道はカックー線とほぼ並行していた。また同鉄道はホーステッド・キーンズ(英語版)からブライトン本線(英語版)が通るヘイワーズ・ヒースまでを結ぶ支線を含めて許可を取得していた。それから1年後の1878年に新しい法律が制定され、路線の買収と運営が可能となったLB&SCRはこの鉄道を買収し、1882年8月から1883年9月にかけて順次開業させた。イースト・グリンステッド - ルイス間の路線は後に「ブルーベル線」として知られるようになり、1958年に廃線となったのちもホーステッド・キーンズ(英語版) - シェフィールド・パーク駅(英語版)間は「ブルーベル鉄道(英語版)」として保存されている。 ウェスト・サセックスにおける路線網は、財政危機の影響で遅れていたミッドハースト(英語版) - チチェスターを除けば1870年までにほぼ完成しており、この区間も1881年に開通した。またリトルハンプトン周辺では小規模な改良が行われた。1887年にはデビルズ・ダイク(英語版)への支線が別会社によって建設され、LB&SCRが運行を担当した。またハンプシャーでは別会社が開通させたヘイリング・アイランド支線(英語版)を1874年から借用していた。また1887年にはロンドン・アンド・サウス・ウェスタン鉄道(英語版)(L&SWR)と共同でフラットン駅(英語版)からイースト・サウスシー駅(英語版)までの長さ2kmの路線(サウスシー鉄道(英語版))を建設したが、のちに路面電車との競合を余儀なくされ、1914年勃発した第一次世界大戦の影響で廃線となった。 当初計画されていたサリー・アンド・サセックス・ジャンクション鉄道は1867年に破棄されたが、クロイドンからイースト・グリンステッド、タンブリッジ・ウェルズ(英語版)、イースト・サセックス沿岸部への鉄道需要は依然として存在した。一方サウス・イースタン鉄道(英語版)(SER)もトンブリッジ駅(英語版)やヘイスティングス駅へアクセスする同様の路線建設を考えていた。そのため両社は協力してブライトン本線(英語版)のサウス・クロイドン駅(英語版)からオックステッド駅(英語版)までの路線(オックステッド線(英語版))を建設した。オックステッドから先はLB&SCRがイースト・グリンステッドを経由してブルーベル線へ接続する路線とタンブリッジ・ウェルズまでの路線を建設し、SERはレッドヒル - トンブリッジ間を建設した。これらの路線は1878年に建設許可がおり、1884年に開通した。 その他、1882年から83年にブライトン駅では屋根の架け替えが行われ、乗降客数が増加したイーストボーン駅も1886年に改修が行われた。
※この「新線建設・施設改修」の解説は、「ロンドン・ブライトン・アンド・サウス・コースト鉄道」の解説の一部です。
「新線建設・施設改修」を含む「ロンドン・ブライトン・アンド・サウス・コースト鉄道」の記事については、「ロンドン・ブライトン・アンド・サウス・コースト鉄道」の概要を参照ください。
- 新線建設・施設改修のページへのリンク