新線建設への転換
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 19:47 UTC 版)
「川崎縦貫高速鉄道」の記事における「新線建設への転換」の解説
JR東日本の協力が得られなかったため、川崎市は1995年頃から、新百合ヶ丘 - 川崎間すべてを新線で整備する方針へと転換した。事業主体は当初は第三セクターとされていたが、後に川崎市交通局を事業主体とする市営地下鉄として整備する方針に変更した。1996年頃から川崎市の交通政策計画として整備が研究され、新百合ヶ丘から宮前平駅を経由して東急東横線に接続する路線として建設する計画がまとまっていった。さらに1999年7月には小田急電鉄と新百合ヶ丘駅での相互乗り入れの協議を行っていることも公表した。 ところが、新百合ヶ丘 - 川崎間の全区間新線整備計画と小田急との乗り入れ構想により、神奈川東部方面線の新川崎地区新駅 - 川崎駅整備と京急大師線への乗り入れ構想は宙に浮いてしまった。また一方で、小田急との乗り入れ協議は結局不調に終わり実現しなかった。このため運輸政策審議会が調停に乗り出し、神奈川東部方面線の新川崎地区新駅 - 川崎駅整備を取り止め、新百合ヶ丘 - 川崎間を京急仕様で建設して京急大師線へと相互乗り入れする計画に変更された。 その後、川崎市議会が全会一致によって地下鉄整備方針を決議したことを受け、2000年1月に国土交通省により策定された運輸政策審議会7号答申の改定版となる運輸政策審議会答申第18号で、新百合ヶ丘 - 宮前平 - 元住吉 - 川崎間が「目標年次(2015年度)までに開業することが適当である路線」(A1路線)に指定されると、2000年代前半には着工に向けての動きが本格化する。川崎市は元住吉を境に新百合ヶ丘側を初期整備区間、川崎側を2期整備区間として段階的に整備することとし、2001年5月に新百合ヶ丘 - 元住吉間の第1種鉄道事業許可を受け、事業が本格的に立ち上がり環境影響調査が実施された。
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