新渡戸稲造の『武士道』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/09 23:44 UTC 版)
詳細は「武士道 (新渡戸稲造)」を参照 新渡戸稲造は現地の教育関係者との会話において日本における宗教的教育の欠落に突き当たった結果、1900年にアメリカ合衆国でBushido: The Soul of Japanを刊行した。本書はセオドア・ルーズベルト、ジョン・F・ケネディ大統領など政治家のほか、ボーイスカウト創立者のロバート・ベーデン=パウエルなど、多くの海外の読者を得て、明治41年(1908年)に『武士道』として桜井彦一郎(鴎村)が日本語訳を出版した。さらに、昭和13年(1938年)に新渡戸門下生の矢内原忠雄の訳により岩波文庫版が出版された。 『武士道』においては、外国人の妻にもわかるように文化における花の違いに触れたり19世紀末の哲学や科学的思考を用いたりしながら、日本人は日本社会という枠の中でどのように生きたのかを説明している。島国の自然がどのようなもので日本独特の四季の移り変わりなどから影響を及ぼされた結果、日本人の精神的な土壌が武士の生活態度や信条というモデルケースから醸成された過程を分かりやすい構成と言葉で読者に伝えている。例えば、武士や多くの日本人は、自慢や傲慢を嫌い忠義を信条としたことに触れ、家族や身内のことでさえも愚妻や愚弟と呼ぶが、これらは自分自身と同一の存在として相手に対する謙譲の心の現れであって、この機微は外国人には理解できないものであろう、といったことを述べている。 これに対し、『君が代』と『古事記』を英訳したバジル・ホール・チェンバレンなどからは『武士道』の内容を批判されている。
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