新人選手選抜会議とは? わかりやすく解説

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新人選手選抜会議(新人ドラフト会議)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 01:05 UTC 版)

1965年のメジャーリーグベースボール」の記事における「新人選手選抜会議(新人ドラフト会議)」の解説

前年暮れそれまで新人選手多額契約金を出すことに批判受けていたメジャーリーグが、ついに新人選手交渉を1球団にその権利与えドラフト会議設置することを決定した。この規則1965年5月1日発効して、この日以降アメリカ国籍を持つ全てのアマチュア選手個々契約することは一切禁止されて、新人選手との交渉ドラフト会議選択することになった。そして1965年6月ニューヨークで大リーグ初の新人選手選抜会議が開かれた。このドラフト会議その後毎年1月中旬6月中旬9月初旬3回行なわれてそこで獲得した交渉次の会議15日前まで有効で、交渉得た球団との契約選手拒否した場合次のドラフト会議で「特別選抜」に付されることとなった最初の「正規選抜」の時は前年度シーズンチーム成績最下位から順に上位球団選手指名し交渉拒否した選手次のドラフト会議にかける場合の「特別選抜」の時は指名順番クジ引き決められた。 この年6月第1回ドラフト会議では、正規選抜メジャーリーグが各球団1名を指名しその後3Aが2名、2Aが3名、Aが無制限指名したマイナーリーグ球団指名といって全てメジャーリーグ球団傘下入っているので実質メジャーリーグ球団10名以上指名しているのと同じで、1965年6月ニューヨークで開かれた初めてのドラフト会議では合計814名の選手選抜され20球団交渉獲得した。この第1回会議最初正規選抜前年1964年シーズン成績基づいてワールドシリーズ負けたリーグ最下位チーム、次はワールドシリーズ勝ったリーグ最下位チーム、そして第9位チーム、第8位チームリーグ交互に順番決めてこの年場合前年ヤンキースカージナルスワールドシリーズ負けたので、指名する順番アメリカンリーグアスレチックスナショナルリーグメッツアメリカンリーグセネタースナショナルリーグコルト45s、・・・の順番となり、指名する最初チームとなったカンザスシティ・アスレチックスアリゾナ州立大学リック・マンデー指名したリック・マンデーアリゾナ州立大学時代にはカレッジ・ワールドシリーズ優勝しMVPにも選ばれて、1年後輩にレジー・ジャクソンがいた。ジャクソンは翌1966年ドラフトで同じカンザスシティ・アスレチックス入団するが、大学時代マンデーを「まぶしいくらいの存在だった」と後に述懐している。マンデーアスレチックス入団後1972年シカゴ・カブス1977年ロサンゼルス・ドジャーストレードされ19年間で通算打率.264、通算本塁打241本の成績1984年限り引退したドジャース時代1981年リーグ優勝決定シリーズ最終戦モントリオール・エキスポズ相手に9回決勝本塁打打ったことが記憶されている。そして彼には「史上初めドラフト指名され選手」としても記憶されている。

※この「新人選手選抜会議(新人ドラフト会議)」の解説は、「1965年のメジャーリーグベースボール」の解説の一部です。
「新人選手選抜会議(新人ドラフト会議)」を含む「1965年のメジャーリーグベースボール」の記事については、「1965年のメジャーリーグベースボール」の概要を参照ください。

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