ドジャース時代とは? わかりやすく解説

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ドジャース時代 (1956 - 1966)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 04:39 UTC 版)

トミー・デービス (外野手)」の記事における「ドジャース時代 (1956 - 1966)」の解説

1956年当時ブルックリン・ドジャースアマチュアフリーエージェント選手として、契約結んだ1959年、対セントルイス・カージナルス戦で代打としてメジャーデビュー果たしたメジャー打席三振終わった1960年外野ユーティリティ・プレイヤーとしてメジャー定着し、110試合出場して打率.276・11本塁打44打点・6盗塁という成績残した外野の3ポジション以外にサード守備に就く機会もあった。シーズンオフルーキー・オブ・ザ・イヤー (NPB新人王該当) の投票で5位にランクインした (同年受賞者フランク・ハワード) 。 1961年は、サードでの出場が最も多く (59試合) 、次いでレフト (44試合) だった。サードでは13失策・守備率.901という守備成績終わり不安定な守備だった。打撃面では15本塁打放ったほか、10盗塁決めて10本塁打10盗塁」を同時に記録した1962年は、前半戦終了時点87試合出場して打率.353・15本塁打90打点打ちまくり、ナ・リーグオールスターのメンバー選出された。同試合には「5番レフト」でスタメン出場したが、ヒットは出なかった。オールスター明け調子維持し最終的に打率.346・153打点記録してナ・リーグ二冠 (首位打者打点王) に輝いた。だが、シーズンオフMVP投票では、リーグ最多165試合出場して104盗塁 (ナ・リーグ盗塁王) を決めたチームメイトモーリー・ウィルス49本塁打放ち本塁打王になったウィリー・メイズ敗れ3位終わった。なお、この年から本格的に左翼手定着し、他のポジションを守る機会減少していった。 1963年も、前年ほどではないが好調維持し2年連続でのナ・リーグオールスターメンバー選出ナ・リーグ首位打者となったこの年チームワールド・シリーズ制し世界一輝いた1964年152試合出場した打率.275に終わり過去2年比べる大幅に成績落とした。翌1965年故障の為、僅か17試合出場終わった1966年100試合出場し打率.313と復活の兆し見せたシーズンオフ11月29日に、トレードニューヨーク・メッツ移籍となった

※この「ドジャース時代 (1956 - 1966)」の解説は、「トミー・デービス (外野手)」の解説の一部です。
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