ドジャース時代 (1956 - 1966)
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「トミー・デービス (外野手)」の記事における「ドジャース時代 (1956 - 1966)」の解説
1956年、当時のブルックリン・ドジャースとアマチュアのフリーエージェント選手として、契約を結んだ。 1959年、対セントルイス・カージナルス戦で代打としてメジャーデビューを果たした。メジャー初打席は三振に終わった。 1960年、外野のユーティリティ・プレイヤーとしてメジャーに定着し、110試合に出場して打率.276・11本塁打・44打点・6盗塁という成績を残した。外野の3ポジション以外にサードの守備に就く機会もあった。シーズンオフのルーキー・オブ・ザ・イヤー (NPBの新人王に該当) の投票で5位にランクインした (同年の受賞者はフランク・ハワード) 。 1961年は、サードでの出場が最も多く (59試合) 、次いでレフト (44試合) だった。サードでは13失策・守備率.901という守備成績に終わり、不安定な守備だった。打撃面では15本塁打を放ったほか、10盗塁を決めて「10本塁打・10盗塁」を同時に記録した。 1962年は、前半戦終了時点で87試合に出場して打率.353・15本塁打・90打点と打ちまくり、ナ・リーグオールスターのメンバーに選出された。同試合には「5番・レフト」でスタメン出場したが、ヒットは出なかった。オールスター明けも調子を維持し、最終的には打率.346・153打点を記録してナ・リーグの二冠 (首位打者と打点王) に輝いた。だが、シーズンオフのMVP投票では、リーグ最多の165試合に出場して104盗塁 (ナ・リーグの盗塁王) を決めたチームメイトのモーリー・ウィルス、49本塁打を放ち本塁打王になったウィリー・メイズに敗れ、3位に終わった。なお、この年から本格的に正左翼手に定着し、他のポジションを守る機会は減少していった。 1963年も、前年ほどではないが好調を維持し、2年連続でのナ・リーグオールスターメンバー選出、ナ・リーグの首位打者となった。この年、チームはワールド・シリーズを制し、世界一に輝いた。 1964年は152試合に出場したが打率.275に終わり、過去2年と比べると大幅に成績を落とした。翌1965年は故障の為、僅か17試合の出場に終わった。1966年は100試合に出場し、打率.313と復活の兆しを見せた。シーズンオフの11月29日に、トレードでニューヨーク・メッツに移籍となった。
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