新人選手ドラフト会議の設置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 14:10 UTC 版)
「1964年のメジャーリーグベースボール」の記事における「新人選手ドラフト会議の設置」の解説
この年の6月、ウイスコンシン大学のリック・ライカート選手にロサンゼルス・エンゼルスが史上最高額の20万ドルの契約金で入団契約を結んだ。この金額は当時球界最高の年俸額だったミッキー・マントルの10万ドルに倍する金額で、過去10年間に新選手の契約金高騰に頭を悩まし、ファームにドラフト会議を設けて戦力の均等を測るように努めてきたのだが、ここに至ってシーズン終了後のオーナー会議で1965年に新人選手選抜会議(新人選手ドラフト会議)の設置を決め、次の1965年5月から発効して野球機構に所属する全ての球団は、1965年5月1日から米国国籍を持つアマチュア選手と個々に契約を結ぶことが一切禁止されることになった。ちなみにこの年カンザスシティ・アスレチックスのオーナーであるチャーリー・フィンリーが入団してマイナーチームの支配下選手になった新人80人に支払った契約金の総額は63万4,000ドルであると公表している。 なおこの時に契約金額が話題になったリック・ライカート選手は、エンゼルス入団後のこの年9月にメジャーデビューしたが、1968年に本塁打21本を打ったことだけが目立った実績でスター選手までには至らず、その後に数球団を渡り歩き1974年に引退した。
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