教育と知的な成長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 04:06 UTC 版)
「エリザベス・キャディ・スタントン」の記事における「教育と知的な成長」の解説
同時代の女性の多くとは異なり、スタントンは正式に学校教育を受け16歳で故郷のジョンズタウンアカデミーを卒業。在学中は数学と外国語の上級クラスに唯一の女子生徒として出席し、校内のギリシャ語弁論大会で二等賞をとるなど討論の腕を上げていく。学校は大好きで女性ゆえの障壁には遭わなかったと言う。 自伝によると、父に対しては女子教育を過小評価していると感じており、キャディ家の隣人で牧師のサイモン・ホサックが父を強く説得してスタントンの知力と学力を伸ばすように勧めたという。スタントンは1826年に自分が兄の代わりを務めたいと父あての手紙を書く。亡兄エリーザーの死を悼む父親を慰めたい一心であったのに、当時のスタントンは、父の返事にやりきれなさを感じることになる。 「ああ、娘よ、お前が男の子だったらなぁ!」 このできごとから、父は娘より息子を大切にしていると理解したスタントンは悔しがり、ホサック牧師に心の内を明かす。牧師はそれでも彼女の可能性を固く信じ、徐々に父スタントンの思い込みを解いていく。ギリシア語の勉強を教え続け、なんでも広く読書するよう励まし、本を何冊も与えた牧師が亡くなったときには、その蔵書からギリシア語辞書が遺贈された。スタントンは常に知力を認めてもらったおかげで、自信と自尊心が深まったという。 ジョンズタウンアカデミー卒業後、スタントンは人生初の性差別を味わわされる。同期生の男子生徒の多くは学業成績で自分より劣っていたのに、かつて兄エリーザーがそうだったようにユニオンカレッジに進学するのを見て落胆した。1830年、スタントンは男子校だったユニオンカレッジではなくエマ・ウィラードが献学したトロイ女子神学校 (ニューヨーク州トロイ) に進む。
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