教会改革運動と皇帝とは? わかりやすく解説

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教会改革運動と皇帝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 05:55 UTC 版)

ハインリヒ3世 (神聖ローマ皇帝)」の記事における「教会改革運動と皇帝」の解説

後にハインリヒ4世グレゴリウス7世の間で、教会叙任権巡って熾烈な闘争展開されるいわゆる叙任権闘争である。この際改革教皇グレゴリウス7世皇帝対立していたことから、皇帝改革妨げ勢力であった、とする見解大きな誤解である。 ハインリヒ3世や、それまで歴代神聖ローマ皇帝見られたように皇帝もまた教会改革運動の推進であった例えば、1046年ストリ教会会議ローマ教会内乱収拾されたことは、ローマで教会改革運動高まっていく重要な契機として評価できよう教会組織にとっても皇帝強化一定範囲までは歓迎すべきものであった皇帝による庇護おかげで各地における諸侯政治的干渉防ぎ自立性を保つことができる。のちに、帝国各地中世都市皇帝から特許状得て諸侯干渉牽制しつつ都市自治保とうとするが、そのこととも比較できようまた、皇帝が諸大公権力弱体化させる過程で、多く所領教会寄進されている。これは教会組織にとっての重要な経済的基盤となったザクセン朝ザーリアー朝通じて行われた帝国教会体制は、帝権強化貢献した一方で教会組織もまた強化されていった。この利害一致した両者は、二人三脚で自らの勢力基盤固めていったといえる。しかし、教会教皇側にとって、皇帝頼りがいのある庇護者であることは望ましくとも、皇帝教会組織を完全に掌握することは決して望ましいことではない。かくして、この両者が、まだ政教分離なされていない、聖俗入り混じったキリスト教世界主導権争ったのが、叙任権闘争であったともいえる。 皇帝これ以上強化は、とりわけザーリアー朝時代入って弱体化進んでいた神聖ローマ帝国内の諸侯にとっても憂慮すべき事態である。従って、皇帝これ以上強化望まないという点で、今度ローマ教皇と「神聖ローマ帝国内の諸侯利害一致する。後に展開される叙任権闘争は、この教皇教会)・皇帝帝国内の諸侯という三者の関係を通じて理解されるべきであろう

※この「教会改革運動と皇帝」の解説は、「ハインリヒ3世 (神聖ローマ皇帝)」の解説の一部です。
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