教会改革とグレゴリウス暦の採用とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 教会改革とグレゴリウス暦の採用の意味・解説 

教会改革とグレゴリウス暦の採用

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 14:56 UTC 版)

グレゴリウス13世 (ローマ教皇)」の記事における「教会改革とグレゴリウス暦の採用」の解説

1572年5月教皇ピウス5世死去受けておこなわれたコンクラーヴェにおいてブオンコンパーニ枢機卿新教皇に選ばれグレゴリウス13世名乗った教皇についた彼がまず全精力傾けて取り組んだのは教会改革であった。特にトリエント公会議決議実施徹底させ、不在司教問題になっていたことを受けて司教枢機卿は自らの担当地域に住むことを徹底させた。さらに公会議後に実施されることが決まっていた禁書目録作成実行するため委員会任命している。 グレゴリウス13世治世事跡でもっとも有名なものは、「グレゴリオ暦」として知られる新暦採用である。ユリウス暦のずれはすでに数百年前ロジャー・ベーコンによっても指摘されていたが、トリエント公会議において教皇庁への委託業務として新暦研究決定されていた。これを受けて教皇はこの業務のためシルレト枢機卿を長とする委員会設立して検討させた。委員会中には当代随一天文学者であったドイツイエズス会クリストファー・クラヴィウス含まれており、時代先端をゆく科学的事業であった。この委員会研究決定受けて1582年2月に暦の切り替え勅令が発せられ、暦の切り替え1582年10月おこなわれることになった。まずカトリックの国であるイタリアスペインポルトガルポーランドなどで採用されユリウス暦1582年10月5日10月15日改められた。 プロテスタント諸国当時、暦であってもカトリック影響力を受けるのは不本意としてグレゴリオ暦受け入れなかった。また、正教会にあっては教会暦変更奉神礼日時多大な影響を被るものであり、ローマ・カトリック教会独断教会暦変更される事は受け入れられるものではなく新暦採用東西教会亀裂深めた。しかしやがてこの暦はプロテスタント諸国正教諸国含めた世界中で採用されることになり、現代至っている。ただし正教会属す教会のうち幾つかの教会エルサレム総主教庁グルジア正教会ロシア正教会セルビア正教会日本正教会など)では、当該地域世俗国家グレゴリオ暦使用していても(イスラエルロシア日本など)、依然として教会内ではユリウス暦使用されている。 また、法学者としてピウス5世時代始められ教会法改訂もおこなわせており、『教会法集成』として完成させた。

※この「教会改革とグレゴリウス暦の採用」の解説は、「グレゴリウス13世 (ローマ教皇)」の解説の一部です。
「教会改革とグレゴリウス暦の採用」を含む「グレゴリウス13世 (ローマ教皇)」の記事については、「グレゴリウス13世 (ローマ教皇)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「教会改革とグレゴリウス暦の採用」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「教会改革とグレゴリウス暦の採用」の関連用語

教会改革とグレゴリウス暦の採用のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



教会改革とグレゴリウス暦の採用のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのグレゴリウス13世 (ローマ教皇) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS