救国のマーリン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 15:38 UTC 版)
1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると自動車生産を中止し、航空用エンジンをはじめとする軍需生産に特化した。ダービー工場は、軍需工場としてドイツ空軍による爆撃の被害を受けている。 ロイスは最晩年に、後に「マーリン」と命名される液冷V形12気筒エンジンを手がけた。この「マーリン」は出力・信頼性・発展性に富み、連合国の対独勝利に大変な貢献を果たした当時の最高傑作のエンジンであった。マーリンは「救国戦闘機」とも呼ばれるスーパーマリン・スピットファイアの心臓となり、卓越した主翼設計と相まってスピットファイアを高水準の格闘戦闘機に押し上げ、イギリス本土防衛戦(バトル・オブ・ブリテン)に勝利をもたらした。 米国の有名なP-51マスタングは、当初は凡庸な性能だったものの、「マーリン」を搭載する改良を行ったことにより、第二次世界大戦最優秀戦闘機とも呼ばれるほどの成功を収めた。 また、英国の対独勝利の源泉の一つである爆撃機アブロ・ランカスターも、「マーリン」を4発搭載することにより十分な機械的信頼性を持って主に夜間爆撃に従事した。 その他にも、ホーカー・ハリケーン、偵察・戦闘爆撃機のデ・ハビラント・モスキートなど、数多くのイギリス製軍用機に搭載され、イギリス本土防衛戦(バトル・オブ・ブリテン)や対独攻撃において大きな成果を挙げた。 また、「マーリン」を戦車用に改修した「ミーティア」は、まず巡航戦車クロムウェルに搭載され第二次世界大戦中最速戦車とも呼ばれるほどの高速性能を授けた。その出力や機械的信頼性からその後のチャレンジャー、コメット、センチュリオンなどにも引き続き搭載され、ノルマンディー上陸後の連合軍の機動戦や、朝鮮戦争における連合軍の地上作戦に大きな貢献を果たした。
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