救命艇の損失
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/29 20:14 UTC 版)
詳細は「イギリスとアイルランド救命艇の惨事の一覧(英語版)」を参照 創設より、救命艇の任務によってたくさんの関係者が殉職している。 1871年 - 1871年の大強風(英語版)でブリドリントン(英語版)の救命艇ハービンガー号 (Harbinger) が転覆し、6人の命が失われた。 1880年 - ウェルス=ネクスト=ザ=シー(英語版)のRNLI救命艇エリザ・アダムス (Eliza Adams) は荒れ狂う海のなかオーシャン・クイーン号 (Ocean Queen) の救出に向かった。救命艇は転覆し、13人中11人の乗組員が溺死した(ウェルス救命艇の惨事(英語版))。 1886年 - リザム・セント・アンズとサウスポートの救命艇は、嵐のなかトラブルに遭遇したドイツの帆船メキシコ(英語版)の支援に向かった。セント・アンとサウスポートの船艇は失われ、27人の乗組員の命が失われた(サウスポートとセント・アン救命艇の惨事(英語版))。 1899年 - RNLIで最も伝説的な偉業があった。リンマス(英語版)の救命艇ルイザ号 (Louisa) は艦船救助のため10時間以上かけてポーロック(英語版)へ陸路でエクスムーア(英語版)を通って運ばれた。到着した時、ルイザ号は即座に浸水し、タグボートが到着した時には、夜明けまで傷ついたまま浮かんでいた。 1901年 - 荒天によりカイスター=オン=シー(英語版)の救命艇ボーシャン号 (Beauchamp) が転覆し、9人の命が失われた。なぜ救出を断念しなかったかを救命艇の船長に聞いたところ、「カイスターの乗員は引き返すなんてことはしない」と答えた(1901年カイスター救命艇の惨事(英語版))。 1928年 - 11月15日、ライ(英語版)(ライ・ハーバー)の救命艇の惨劇が発生。メアリー・スタンフォード号(英語版)が転覆し、総員17人の命が失われた。 1947年 - 4月23日、南ウェールズ沖でサムタンパ号 (SS Samtampa) の乗員の救出を試みようとしてマンブルス(英語版)救命艇の8人が死亡。合計45人の命が失われた(マンブルス救命艇の惨事(英語版))。 1959年 - 12月8日、ノースカー灯台船 (North Carr Lightship) の救出に向かったブローティ・フェリー(英語版)の救命艇モナ号(英語版)の8名が死亡。 1962年 - 11月17日に漁船エコノミー号 (boat Economy) の5人の乗員を救った後、シーハム(英語版)救命艇は帰還途中に転覆。5人の救命艇の乗員全員が死亡し、エコノミー号の1人のみ生還した。 1981年 - 貨物船ユニオンスター号 (Union Star) の救助に向かったペンリー救命艇ソロモン・ブラウン号 (Solomon Browne) が失われ、乗組員8人全員の命が失われた。この事故で合計16人が亡くなり、生存者はなく、8体の遺体のみ回収された(ペンリー救命艇の惨事(英語版))。
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